知床の旅

葬儀を済ませ、初七日まで実家にいる家内を残して、三男坊と旅行に行くことにした。
特に当てはない。とりあえず道東に向かうことにした。
三男との二人旅は初めてだ。
まだ独身の息子と二人で旅をすることはもうないかもしれないのでいい機会だ。
飄々として運転する三男坊の車に乗り高速道をひたすら走った。

(車窓からトマムリゾートの高層建築が見えた)
つい先日の台風12号で鉄橋が流され道央の鉄道は寸断されているらしい。
高速道は日高山脈を越え、広大な十勝平野を横切り、釧路には昼過ぎに着いた。
できれば厚岸(あっけし)まで足を伸ばして有名な牡蛎を食べようかと思ったが、
コンビニで買った北海道の温泉案内には厚岸近辺の宿が載っていなかった。


釧路駅前の観光市場(和商)に行き、勝手丼を食べながら行き先を考えることにした。
勝手丼はこの地の名物らしい。
まずごはんを買って好きな魚貝を別に買い、構内の椅子に座って食べる趣向だ。
さすがに海の街、魚が美味い。

(どうもお米は100g100円らしい)
とくに当てのない行き当たりばったりの旅行なので今夜は摩周湖近くの川湯温泉に泊まることにした。

三連休の中日のしかも当日なので観光旅館はどこも満員だったが、庶民的な格安の国民宿舎が予約できた。
温泉に向かう途中、あこがれの釧路湿原を通った。
原野の湿原に沿って釧網本線が走っている。
初めて見る釧路湿原は雨の中だったが、展望台からの眺めは雄大だった。
釧路湿原駅のそばには民宿があった。

あらかじめ調べておけば民宿でもよかったかもしれない。
機会があれば湿原の宿に泊まり一両列車に乗って釧路湿原を縦断してみたいと思った。
弟子屈を通り越して宿に向かう途中に日が暮れてすっかり暗くなり、この日の宿には午後6時過ぎに着いた。
人里離れた温泉地は意外とにぎやかな温泉街だった。
おおきな温泉ホテルやアイヌの木彫りを売るお土産屋も軒を連ねている。
格安なのでどんな宿か心配だったが、しっかりした旅館だった。

国民宿舎・川湯パーク(0158-3-2611)、一泊二食6800円。安い!)

食事は質素だったが、遅い昼食だったので丁度よかった。
温泉は白濁したアルカリ性の気持ちの良い硫黄泉だった。
疲れがでたのか、日本酒一合ですっかり酔ってしまい爆睡した。
二日目(9月19日敬老の日)も雨時々曇りの天気だった。
謡曲で有名な摩周湖を観光し、せっかくなので網走方面まで行くことにして出発。
川湯温泉のすぐそばには硫黄山があった。音を立てて噴煙をあげる吹き出し口のすぐそばまで歩いてゆける。
吹き出し口は硫黄で黄色く染まっていた。関東にこれだけの地獄谷があれば一大観光になっているだろうと思った。
ここも中国人の観光客が多い。
春には遊歩道のある道沿いに一面の白いツツジが咲くようだ。


摩周湖は火口湖で山のてっぺんにある
途中、霧が濃く、視界は数メートルしかない道を走る。
これでは歌の文句のように何も見えない「霧の摩周湖」状態だろうと思って展望台に着いたが、
不思議と霧が晴れて湖の全容を眺めることができた。

さてこの後、どこに行こうかと考えたが、三男坊の提案で知床に行くことにした。
まさか知床半島にまで行くことはまったく頭になかったので、奇想天外な展開になった。
原野に続く道を走り、斜里の街でトイレ休憩し、一路宇登呂(ウトロ)に向かった。
山好きの身には、知床は聖地のような場所だ。
どうせなら登山用具一式を持って羅臼岳に登りたかった。
突然なのでまったく心の準備ができていない。
ところが・・・予想に反して斜里の町もウトロも立派な観光地だった。
最果ての北の町は静寂のなかに佇む辺境のイメージだったが、世界自然遺産に指定されたこともあってか
まったく綺麗な近代的な町になっていた。
三連休でもあって、大型観光バスが沢山行き交っている。
斜里からウトロに向かう道沿いには立派な滝があった。

オシンコシンの滝だ。丁度、観光バスが着くのと同時になって大勢の観光客で賑わっていた。
昨日からの雨で増水していてすぐそばまでは近づけなったが、知床八景のひとつだそうだ。
このあと、ウトロの街から知床峠に登った。
峠は雨で、目の前に羅臼岳北方領土が見えるはずだが残念ながら霧の中でまったく見えなかった。



この峠が斜里と羅臼の町境になっている。
ここまで来たので、続いてカムイワッカ湯の滝を見に行った。
イカー規制があって自然観察センターでバスに乗り換え湯の滝を見に行く。
ここも増水で一番下の一の滝までしか行けなかった。手を入れてみると水が暖かい。


まさにお湯の滝だった。しかし、これしか見るものがない。
ここで一時間も雨に濡れていてもしょうがない。
バスは一時間先しかないので、そそくさと滝の写真を撮って走って乗ってきたバスに戻った。
久しぶりに坂道を走った。そう言えば、最近全く走っていない。
息が切れて目が回った。息子が先に走って行って発車直前のバスを待たせて置いてくれたので何とか間に合った。
wi-fiは圏外になってしまい、予備知識なないままの観光なのでどこを見ればいいのかわからなかったが、
息子は以前にも来ているようで、次は知床五湖の散策に行った。



湿原のような岬の台地に沼が点在している場所だった。
立派な木道が整備されている。
晴れていれば知床連山が一望に見えたはずだが、雲上に隠れて見えなかった。
雨上がりのオホーツクの海を見ながらの散策は爽快だった。
もう午後3時が近い。この時間では今日は帰れないのでもう一泊することにした。
ウトロに戻り道の駅で遅い昼食を摂った。

(本州では見たことのないヤナギマイの煮魚定食、1200円)

息子の勧めで初めて青いビールを飲んだ。網走名物、流氷ビールだそうだ。
まるで毒水を飲んでいるような気分になる。クチナシで色付けしてあるようで見た目と違い華やかな香りがした。
さあ、今夜はどうするか、また宿を探さなければならない。
息子の言では、せっかく道東旅行に来たのだから今夜はまりもの阿寒湖畔にゆけばほぼ道東の観光地を一周することになるそうだ。
食事を終えて網走の町を通り抜ける。
まさに最果ての町、網走もイメージとは違い綺麗な観光地だった。もう夕焼けが近い時間に網走湖を通り過ぎた。
遅い時間になったので網走監獄の観光はパスした。
姪のM子が住む美幌の町に差し掛かったころには日が暮れて暗くなった。


二泊目は阿寒湖畔の観光ホテルに泊まった(鶴雅ウイング、1泊2食16000円)。
装飾華美の今どきの温泉リゾートホテルだった。食事は二食ともバイキングで、うまかった。
温泉は少し黄染していて無味無臭の単純泉、源泉の温度は高いのに大浴場のお湯はぬるめだった。
阿寒湖はまりもで有名な一大観光地だ。


湖のそばには雄阿寒岳がどっかりと腰を据えている。
3日目は快晴、阿寒をあとに広大な十勝平野をひた走った。
トウモロコシ、ジャガイモ、長いも、サトウダイコンを植えた農地が広がる。地平線までずっと農地だった。
砂糖大根(ビートの仲間)が国内の砂糖の原料の75%を占め、その生産のほとんどが十勝平野でなされているそうだ。
だいたい、砂糖がサトウダイコンから作られていることすらまったく知らなかったし、
その大半が北海道で作られていることも初めて知った。
砂糖は沖縄のサトウキビから作られているとばかり思っていた。
息子は農学部を卒業しているので少しは農業のことも知っているようだ。
以前話題になった「幸福駅」が十勝平野の真っただ中にあることも初めて知った。

かつての小さな鉄道駅の跡が観光地になっている。
松山千春の出身地の足寄(アショロ)もそうだったが、北海道では次々と過疎地の鉄道が廃線になっている。
ほとんどの住民が都市部に集中していなかの人口が減少し、自動車の普及で致し方ないことだが、市街地から離れて住む住民にとっては
地元が陸の孤島としてさびれて行くのは言葉にならない寂寥感となっているだろう。

(足寄駅跡ですっかりジイさんになった松山千春(の写真)と記念撮影)
しかし、晴れ渡る空の下の広々とした十勝平野には、そんな悲壮感はまったくないように感じられた。
この地は農耕と牧畜で豊かな暮らしが成り立っているようだ。
行き当たりばったりの旅もここまでにして
3日目の午後、とかち帯広空港から羽田に帰ってきた。

当日シニア割引で、エア・ドゥの片道料金は13090円と格安だった。
年取っていいことの一つには航空料金が格安になったことがある。
年寄りのぶらり旅にはもってこいだ。JR新幹線もシニア割引にして欲しいなあ。
亡き義母のおかげて息子とのんびり二人旅ができた。感謝である。