あれから50年

今からちょうど50年前、弘前を初めて訪れた。

大学受験のためだった。

弘前駅は古風な木造の白い駅舎で、駅前には小さなロータリーがあり

バス停の向こうには古びた邦画の映画館の看板が見えた。

曇り空の下、汽笛とともに機関車は駅を出てゆき、津軽の玄関口は静かになった。

駅前の「さくら旅館」に泊まり、和室の広間で食事をとった。

受験日は3月22日と23日の二日間。

国立Ⅰ期校が不合格で、Ⅱ期校の入学試験だった。

入ることができるのであれば大学はどこでもよかった。

しいて言えば東京から離れた城下町に住みたいと思った。

試験科目が何だったのかよく覚えていない。

たぶん理科は化学と生物。社会は日本史だったように思うが、定かではない。

おそらく生物を選択できる学校が少なかったためにこの大学を受験したように思う。

受験日の2日前に青森駅から蒸気機関車に乗ってこの町に着き、翌日は試験場の下見と町中の観光をした。

まだ桜の梢には蕾も見えない弘前城公園から一番町、上土手町商店街へと歩いてゆくと三角屋根の「角は」デパートのてっぺんには風に揺れる旗が立っていた。

道端には春の名残雪が膝の上の高さまで積まれていた。

受験は失敗だった。

一年浪人生活をおくり翌年、再受験して入学を果たした。

初めて津軽を訪れてから50年が経った。

あの日からその後の、今に至る人生が始まった。

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(昨日の夜明け、陽の当たる丘午前6時)