旅の二日目午後は張家界市から鳳凰古城に移動した。
鳳凰古城は張家界から230キロほど離れた場所で、中国王朝清の時代に建設された歴史的景観を残す観光地だ。距離感では横浜から松本城までの感覚に近い。
バスに揺られて4時間かけて辿り着いたこの町は張家界市に隣接する湖南省湘西トゥチャ族ミャオ族自治州鳳凰県の南西部にあり人口は37万人。沱江(だこう)の中下流域に位置して、歴史的には二千年以上の昔から苗(ミャオ)族と土家(トウチャ)族の集住地であった。 現在の古城は清康熙四十三年(1704年)に建設されたもので、300年もの歴史あるが、昔ながらのたたずまいを今なお色濃く残している。
中国十大古城のひとつに数えられる町で、昨年の年末から今年の年始にかけて訪ねた麗江古鎮に次ぐ、中国内でも有数の美しい歴史的町並みを残す地として中国人の観光客の多い場所だそうだ。近代中国の碑を築いた政治家や文学者など、著名人を輩出した地としてもよく知られる場所だという。
清の時代に建てられた東門と北城門の古い城楼 、青石板でできた町中の通り、そばを流れる「沱江」の川沿いに建てられた吊脚楼と呼ばれる高床式家屋や屋根のある橋梁、川中の塔楼など独特の風景をかもしだしている。
この日と翌日は古城から歩いて20分ほど離れた新市街のホテル天下鳳凰大酒店に連泊した。
(民族衣装を着て記念写真を撮る中国の観光客)
日中、陽射しを避けて古城の裏路地を歩くと、まるで中世の昔にタイムスリップしたかのような不思議な 感覚に陥り、日が暮れてライトアップされた夜は現実離れした異界に迷い込んだような不安を感じさせる。
古城の観光に引き続き、郊外の南方長城に向かった。
ここは明代に南方からの少数民族の侵略に対する防衛城壁を復元したものだった。
万里の長城のミニチュア版のような復元遺跡はこの地の周辺少数民族との歴史を物語る。
息を切らして城壁の上まで登ると緑豊かな田園の景色が広がっていた。この地の田舎の風情だが、日本の田舎であればどこにでもある崩れ落ちそうな古い建物は見えなかった。
公園内では家族ぐるみで住民が採りたての小さなタケノコの処理をしていたのが印象的だった。夕食の総菜ないのか、町に売りに行く商品なのか、気になった。
鳳凰古城の天子大酒店に連泊し四日目午前は張家界方面の途中の町、武陵源へと向かった。
鳳凰古城往復の長いバス旅の途中通り過ぎた湖南省湘西トウチャ族ミャオ族自治州の吉首(キッシュ)市(人口約30万人)が歴史的には少数民族が住むこの地区の中心地だそうで、車窓から眺めた沿道にはあるはずの朽ちかけた農家や古い中国の民家はまったく見られず、おそらくは発展する過程ですべて取り壊されたしまったのだろう。視界の果てまで続く新たに住民のために建設されたと思われる高層建築群の威容は変わりつつある新生中国の現在進行形の姿を象徴するかのように思われた。吉首近くの谷合に、一か所だけ黒い瓦屋根がかたまって残っている地区が見えた。鳳凰古城と同じように歴史遺産として再整備中の集落のようだった。