マドリッド_スペイン瞑想旅行

スペインの首都マドリッドアラビア語で「水の多い土地」「水の源」を表すという。ムスリムがこの地をそう呼んだことが名前の由来のようだ。

バルセロナからはおよそ500キロメートル離れた地にあり、日本でいえば大阪と東京の距離に相当する。バルセロナからは飛行機でおよそ1時間だった。

内陸部の乾燥した高原地帯にあるが、イベリア半島のほぼ中央に位置し、名前の由来のように水が豊富であることで首都が置かれた経緯がある。十六世紀にはすでにこの国の首都となっているので、東京(江戸)が日本の首都となった時代より少し早い。

スペインの歴史は難解だ。ここに首都が置かれた五百年間だけでも王朝や施政者が何度も変わり、これに宗教が複雑に関わり、イギリスやフランスなどの近隣国からの干渉、コロンブスアメリカ大陸到達と世界を股にかけた大航海時代の侵略や植民地経営など、おおよその経緯を理解しようと思ってもなかなか一筋縄では行かない。かつては世界一の富と繁栄を享受したこの国の中心地は、今でもロンドン、パリ、モスクワに次ぐヨーロッパ経済の要であることには変わりないようだが、日本で暮らしていると身近に感じるのはスペイン料理ぐらいで、旅行前に知っていたのは世界に冠たるプラド美術館がこの街にあることだけだった。

マドリッドにはスペイン国鉄(レンフェ)の大きな基地駅が南北に二つある。宿泊したホテルは南部駅のアトーチャ駅から数分の場所にある旧アグマール・ホテル(ごく最近経営者が変わりAXOR BARAJAS PLUSと言う名前になった)だった。この駅は15年前に多数の死傷者を出したテロによる爆発事件が起きた場所だった。ホテルはプラド美術館にも、旧王庁であった大きなレティロ公園へも歩いてすぐの場所だ。二連泊して自由時間がたっぷりとってあるプランだったので、着いてすぐに予備知識もなく散歩に出かけてみた。プラド美術館と広大なレティエ公園に挟まれたゆるやかな坂道を登るとアラカラ門にたどり着いた。この門と広場にもたくさんのエピソードがあるようだが、不勉強なので記載できない。

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(セラーノ通り、この街の歴史を物語る弾痕が残るアルカラ門と独立広場)

戻ってきて夕食の時間にこの街についての説明があった。かつてスペインで暮らした経験のある添乗員も現地のツアー・アシスタントもしきりにマドリッドの治安の悪さを強調する。地下鉄は危険なのでだめ、木陰の多い公園の散歩も強盗がいるからだめ、スリも追い剥ぎも日常茶飯事と手厳しい。楽しみにしていた電車や地下鉄に乗って気ままな散策など、とんでもないと言われてしまった。勝手な行動をすると殺されると警告された。まるで悪の巣窟のような街であるとの説明だった。すでにもう自由行動で近隣を散歩して、行かないようにと言われたレティエ公園も歩いてきた印象では、ここは明るく整然とした都会で、住民や公園で寛ぐ人々も善良そうで楽し気に見えた。まあ、世界中どこにでも悪い輩はいるので、旅行社としては事件に巻き込まれては困る老婆心から過剰な警戒感を持っているのだろう。

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(王宮の全景)

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(白い王宮。映画のセットのような、作り物感いっぱいの宮殿)

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(王宮の東側にあるオリント広場のフェリペ4世騎馬像)

マドリッドでの二日目は観光名所である王宮はそばを歩いただけ、スペイン広場は工事中の立ち入り禁止でパス。午前中はプラド美術館での名画鑑賞だけであっという間にすぎた。午後は自由時間だったので、これといったあてもなく小洒落た街歩きで過ごし、土産物などの物色とウインドウショッピングで過ごした。

 

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国立プラド美術館は王立美術館として開館し、のちに現在のプラド美術館という名称になった。今年でちょうど開館して二百年になる。改修のためか、入口は大きなシートで覆われていた。王室が権勢に任せて集めた中世から近代に渡る大量の収集品が収納されていて、画集や企画展が来日した際に一度は観たことのある絵画が目白押しだった。僅か二時間の鑑賞時間内ではエルグレコ、ベラスケス、ゴヤなどの超有名絵画を足早に見て回ることしかできなかった。鑑賞というより、見て回る、まさに日本人の足早観光そのものだった。そんな中でもゴヤの絵がとても感慨深かった。マハの着衣と裸婦の二枚ではなく、感激したのは「黒い絵」シリーズの「わが子を喰らうサトゥルノ」だった。意外と小品だったが、強烈な印象だ。いつかゴヤについてのブログを書きたいと思う。施設そのものが美術品だが、この施設の空気を吸うだけで精一杯だった。館内が写真撮影禁止なのが残念だ。

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ゴヤ銅像の前で記念撮影。この写真だけは脚が長く見えるので公開)

昼食は市内のレストランで鳥(七面鳥?)の脚(もも肉)のソテーを食べた。今回の旅行はまるでスペインに鳥料理を食べにきたような鳥づくしの旅だった。(ランチ以外のホテルの朝食・夕食にも、ほぼ毎日鳥料理がメニューに含まれていた)。鳥料理は大好きだが、せっかくスペインまで来たのだから、もっとこの地ならではのパンチのきいた豚肉や牛肉、新鮮な海産物の料理を食べたかった。

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(ほんのりオレンヂ味のソース添え)

食後はカスティーリョ広場で解散して終日自由時間となった。午後は市内の広場とそれを繋ぐ通りを無計画に歩き回った。観光立国だけあって、どこもごみひとつ落ちていない。整然としすぎているのが欠点かもしれない。中国や台湾のような庶民の生活の匂いがしない。たくさんの美術品のような建物に囲まれて、かえって落ち着かない気がしたのは自分だけかもしれないが、マドリッドの市内はまさに西ヨーロッパの都市のイメージそのものだった。

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(カスティーリョ広場からプエルタ・デル・ソルへ続く通りにある国会議事堂)

マドリッドを歩くとあちこちで広場に出会う。

広場は大勢の観光客、さまざまなパーフォーマンスをする人々、音楽を奏でるもの、大道芸で笑いを誘い観光客と記念撮影をするものなど、賑やかだ。

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(シックな小径の両側には小物や土産物、ブランド店などが軒を連ねる)

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(女性用のサンダルを売る専門店)

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(華麗な建物に囲まれたベラスケス広場)

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(ベラスケスの記念碑)

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(地上階は小さなアーチが連なる建造物で囲まれた広い中庭のようなマイヨール広場)

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(制服の色は違うが、松本零士銀河鉄道999」の車掌さんのような仮装)

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(かつてここでは闘牛が行われていた)

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(長方形のマヨール広場は国王の宣誓や異端尋問裁判が行われた歴史がある)

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(マイヨール広場近くの鉄筋構造の操車場のようなサン・ミゲル市場)

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(東京の日本橋に相当する、国内の交通の起点となっているプエルタ・デル・ソル広場)

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プエルタ・デル・ソルという広場があった。スペイン国内の交通の起点となっている場所だった。スペイン語で太陽の門を意味する。かつてここに朝日に向かうこの街の東門があったとする伝承に由来するらしい(他説もある)。広場にはマドリッドのシンボル(紋章)のイチゴノキ(ヤマモモと言われている)と熊のモニュメントがある。この街をマドリードと呼ぶのは、熊に追われた子供がこの木の上から母親を助けるために「ママ、逃げて(Madre huid)」と叫んだことによる、と童話作家アンデルセンが書き記しているそうだ。その言葉が詰まってMadridになったという。なおマドリッドは英語表記の読みである(日本がJapanと呼ばれるようなものだろう)。

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(スペインならではのパーフォーマンス)

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(なぜ日本のスーパーマリオブラザーズなのか意味不明)

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(洒落た菓子店)

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(土産に菓子を買う)

よく見ると街のあちこっちにpoliciaと書かれたパトロールカーが停まっていた。やはり治安はそれほど良くないのかもしれない。でも賑やかな通りばかり歩いたせいか、そんな感じは受けなかった.

自由時間の〆はソフィア王妃芸術センターでピカソゲルニカを鑑賞する。

マドリッドバルセロナを物量的に遥かに凌ぐ芸術の都だった。市内にはプラド美術館の他に、ピカソ、ミロ、ダリはもちろんのこと、ベラスケスもゴヤも、その他、古典から現代作家まで、数え切れないほどの美術館があった。僅か二日の滞在では到底、見て回るのが不可能な数の美術館が地図に載っている。その中でもうひとつだけ選んだのが、ピカソゲルニカ(本物)を所蔵するソフィア王妃芸術センターだった。ゲルニカの原寸大レプリカはすでに日本で見たことがある。でも本物を一度は見てみたいと思っていた。もう一つのスペイン訪問の夢だ。

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ソフィア王妃芸術センターの通常入館料はそれなりの値段である(10ユーロ)。それが夕方19時を過ぎると年齢に関係なく無料になる。この街興しと芸術振興策は立派だ。日本ぜひ見習うと良いと思う。

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無料時間になるまで入口のすぐ目の前のレストランにじっくり腰を据えて夕食を摂った。スペインにきて2回目の自由なディナーだった。入場料分で、サラダ、肉や芋など数種類のコロッケ、豆のディップ、冷えたビール、しこたま赤白ワイン。充分以上に元が取れた(というのは変だ、地域に還元したというのが正しい)。時間になったので行ってみると、長蛇の列に並ぶものと想像していたのに、思いのほかすぐに入館できた。

この美術館にも沢山の有名画家の絵が展示されていた。壁面いっぱいに展示された絵画に思わず目を奪われてしまう。館内は広く、お目当てのゲルニカ専用の展示室には、ホロ酔いのせいもあって迷いながらようやく辿り着いた。これまで何度も見て慣れ親しんだ白黒のこの大作は見るものに不思議な感動を呼ぶ。美しさという観点からは程遠い。理性的で崇高なはずの人間が繰り返す愚行と不条理、怒りと嘆きの爆発、深い悲しみとやり切れない絶望への諦観。一枚の絵画の中に、人間という生き物の性(さが)と感情の全てが表現されている。紛れもないピカソの代表作だ。荒唐無稽で、気まぐれで、人を食ったピカソの、理性を超えた芸術家としての本性が、画面いっぱいに表現されている。これが今回のスペイン旅行の最期の土産だった。

翌日は観光せずホテルからマドリッド空港に直行し、来た時と同様にイベリア航空の成田行き直行便に乗った。午後1時にスペインを発ち、定刻通り日本時間の朝9時半に成田に帰国した。機中の13時間は一睡もせずビデオを見続けた。終わってしまうと十日間はあっという間だった。

マドリッド

スペインの首都。人口は約三百万人、首都圏経済人口を入れると六百万人近い住民の暮すスペイン最大の都市である。プラド美術館に代表される大規模な美術館の数多くある芸術の都であり、歴史ある重厚な建築物と広々とした王宮や随所に広がる美しい公園が開放的で明るい観光都市を印象づける。世界中から多くの観光客が四季を問わず訪れる街で、リピーターも多い。イベリア半島の中央に位置し、高原地帯(標高655メートル)にあるが、豊かな水が美しい緑の樹木を養い、この街の彩りをいっそう豊かにしている。

レコンキスタ(国土回復運動)の収束によるスペイン人による国土の再征服がなされたあと、古都トレドからこの地に都が移されおよそ五百年間にわたり、スペインの政治と経済の中心地として栄えてきた。紋章には七つの星の描かれた盾の内側に、イチゴノキ(ヤマモモ)の実を取ろうとして立ち上がる熊が描かれている。由来にはさまざまな伝承があるが、星は不変を象徴する天の中心の北斗七星と大熊座を表す。イチゴノキ(ヤマモモ) は豊穣を、熊は勇猛なこの地の覇者を、両者で自然との共生を表すものかもしれない。さまざまな王朝の盛衰や近世の独立運動、二十世紀前半の独裁政権や内乱、最近では無差別テロ事件など、この地で展開された血生臭い逸話も尽きない。暑く、熱い大地に位置する都である。