灼熱のカンボジア巡礼旅_王宮と蛇

この大手事業者の運営する観光ツアーは日本語の堪能な現地ガイドが随行するプランだった。担当してくれた筋骨逞しい中年男性ガイドはカンボジア国内で日本語を研修したそうだ。日常会話には全く支障がないし、込み入った日本の歴史的な事象についてもしっかりと知識があり、国の認定する国家資格のガイド免許を持っている。その博識に感心した。 以下このブログには、旅の印象に加えて、現地ガイドから聞いた話やガイド本とインターネットで集めた知識を中心に思いついたこと、感じたことを記しておくことにする。

カンボジア人は自分の国を「カンボチャ」と発音する。日本人の耳には野菜のカボチャと同じ発音に聞こえる。おそらく殆どの日本人にとってはカンボジアは野菜とアンコール遺跡のこと以外は知らないと思う。実際、私も何も知らなかった。唯一、これ以外で知っていたこと言えば、ポル・ポト政権時代の不幸な歴史だ。

カンボジア立憲君主制の国である。国土は小さく日本の約半分、人口は7分の1の約1600万人だ。しかし、これから巡礼するアンコール遺跡が築かれたクメール王朝の最盛期には今の十倍の国土があり、インドシナ半島のほぼ全域やマレーシア半島にも及ぶ広大な地域を支配する巨大な王国を築いていたという。

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国民のほとんどが熱心な仏教徒で、同時に、多くの神々を崇めるヒンズー教も広く信じられている。悠久の歴史に彩られて神々しい光を放つアンコール遺跡群を建設したクメール王朝が栄えたはるか昔から、国王が信奉する宗教も仏教だったりヒンズー教だったりと変遷し、仏教徒ヒンズー教徒は互いに激しくいがみ合い、しのぎを削っていた時代があったようだ。現在ではそのどちらもが日々の生活の中に深く根付いていて、この国の独特な文化の根幹となっている。

上座部仏教(昔の呼び名では小乗仏教に相当)の国ではあるが、大乗仏教のように出家者も在家の信徒も様々な姿をした神仏を尊び、僧侶を敬い、複雑な多神教的な信仰がしっかり調和して現在に息づいているようだ。庶民の憧れは、一生に一度は仏門に身を置くことだというから、崇高な倫理観や宗教観を持つ民族の国なのだろう。国民の九割は5世紀ころラオス南部から南下した人々に起源を持つクメール人だ。

王様は日本とは違い、親王からその子である王子に王位が自動的に受け継がれる方式ではなく、王位継承権を持つ二つの家系から、時の政治の権力者や宗教家などで構成される選考委員会によって選ばれる仕組みになっている。終身制の国王には政治的な権限はなく、国の象徴として、広く国民に愛されいるという。この点は第二次世界大戦後の日本と似ている。

あちこちのレストランや商店の入口近くの壁には国王と今は亡き前国王の写真が飾ってある。きっと、この国の王様はカンボジア国民にとってかけがえのない心の拠り所としての重要な存在なのだろう。その理由も現在のこの国の政治・経済の状況を聞くとなんとなく理解できるように思えた。

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(フランスからの独立を記念する独立記念塔、1958年建造)

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シハヌーク前国王の像が立つフン・セン公園)

首都プノンペンには王様の住居である王宮がある。白地の壁が支える王宮の屋根には華やかな金色の蛇の造形が目を惹く。この国独特の建築様式だ。

王宮は街のほぼ中心部に位置していて、近くには二十世紀半ばにようやく勝ち取った念願のフランス領からの独立を記念する独立記念塔や各国の大使館や公邸が並んでいる。

朝9時の王宮の開門を待ち並んでいると私たちのうしろにはベトナムの団体旅行の一行が繋がり、静かに礼儀正しく開門を待っていた。けたたましい中国人観光客とは全く違う。

 

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(王宮入口の門飾り)

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(屋根の突起は蛇のモニュメント)

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朝一番だったので王宮は静かだった。掃き清められた中庭では猫や鳩が歓迎してくれた。綺麗に刈り込んだ庭木からは端正な蛇も出迎えに姿を見せてくれた。

蛇はこの国では特別な意味をもつ。ヒンズー教では蛇を象る神はナーガと呼ばれ、古代インドの神話に由来し不死のシンボルとして崇められている。地上界と天上界をつなぐ虹の架け橋を表すともいう。また海・川・水を司る神の化身でもあるようだ。

このあと訪ねた数々の遺跡でも複数の頭を持つ蛇神の石像にいたるところで遭遇した。日本のヤマタノオロチのようにたくさんの顔を持つ蛇神像の頭部は、毒蛇のコブラのような様相で、神聖な聖域を邪悪な侵入者から守っているようだった。頭の数は一定ではなく、三から九頭までとさまざまで、胴体は一本だけの姿だった。

(王宮の屋根を飾るf:id:darumammz:20190817102821j:plain蛇)

世界中に蛇にまつわる神話や伝説は数知れず存在する。旧約聖書にはイブをそそのかす邪悪で狡猾な存在として描かれているし、ヤマタノオロチは住民を苦しめる悪魔としてヤマトタケルに滅ぼされてしまう。ギリシア神話にも様々な蛇や蛇の化身が登場する。マヤ遺跡のピラミッドに春分の日秋分の日に現れる不思議な蛇の像も有名だ。いっぽう、古来、日本では家を守る主(ぬし)として大切にされてきた風習があったし、身近な存在として国内で初めて作られた劇場用“総天然色”長編アニメーション映画は東映動画の「白蛇伝」だった。NHKの朝ドラ「なつぞら」のモデルになっている。今はない我が実家の玄関の階段の脇には蛇の住む穴があって、蛇が出てもいじめてはいけないと言われて育った。命と健康を守るシンボルとしてもしばしば西欧のアイテムにも登場し、世界保健機構(WHO)のマークにも描かれている。カンボジア王宮の屋根を飾る蛇の装飾にも深い信仰を秘めた伝承や由来があるのだろう。

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カンボジアで最も美しいといわれる古代橋スピアン・プラップトゥフの九の頭を持つナーガ像)

プノンペンインドシナ半島を南北に縦断する大河メコンと北西部から南東へ流れるトンレサップ川の合流点に位置する。ここからトンレサップ川を上流へ遡ると、この国のほぼ中央にトンレサップ湖がある。雨季には増水したメコン川の水がトンレサップ川を逆流し、トンレサップ湖の面積は乾季の3、4倍の大きさになるそうだ。この大きな二つの河川がこの国の成り立ちと水運を支えてきた。九世紀からおよそ六百年間にわたり繁栄したクメール王朝トンレサップ湖のタイとの国境側から数十キロ北上した丘に誕生した。数々の荘厳なアンコール遺跡群はこの王国の権勢を背景に造営された。

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(最初に泊まったホテルから眺めたメコン川とトンレサップ川の合流点)

カンボジアでは世界文化遺産が三件指定されている。これらを含めて国内には千箇所に及ぶ遺跡があるという。今回の巡礼旅ではそのほんの一部を垣間見たに過ぎないが、東南アジアの歴史を現在から過去へと遡り、極東の島国日本を含むアジアにおける人々の暮らしと時間の変遷を肌身で感じる旅となった。見渡す限りの緑濃い水田。高床式の庶民の住宅。痩せた牛。水浴びする水牛。半裸で縁台やハンモックで眠る人々。生い茂るヤシとココナツの木々。沿道を埋める粗末なトタン屋根の屋台。西欧社会の歴史や暮らしとは全く異なる異次元の光景。はじめて目にする伸びやかな人々の暮らしや景色に、なぜか懐かしい思いを呼び起こされる不思議な旅だった。

カンボジア訪問二日目、首都プノンペン観光ののち私達を乗せたバスはいよいよ古代遺跡を巡礼する旅へと出発した。

はじめに向かったのはクメール(アンコール)王朝の成立以前の遺跡、サンボー・プレイ・クックだった。