アンコール・ワットはアジアの秘宝である。
屹立する尖塔が宙を刺し陽の光を受けて燦然と輝くその姿はアジア人の祈りと営みの歴史を未来の人類に伝えるかけがえのない宝物である。
数多の世界遺産のなかでも他の文化遺産の追従を許さない卓越した存在感を放つアンコール・ワットの地に、命のあるうちに一度だけでも自らの足で立ちたいと願ってきた。
今回の巡礼旅では8月18日午後、19日夜明け、20日午前中と三日続きで訪れることができた。
(静寂の朝)
アンコール地域にはたくさんの遺跡が残る。そのなかで、アンコール・ワットは無二の聖地である。限りある命を生きる人間の切なる願いを神に伝えるための別格の聖蹟。篤い信仰によって天界と地上界を結び、無限の宇宙を司る神の降臨を願う特別な舞台。十二世紀初頭から千年にわたり、人々が世界の安寧と自らの永遠の命を願う祈りの場として守られ崇めらてきた聖域。言葉にすれば限りなく思いが溢れる。今では世界中から毎年五百万人を越える訪問者を迎え、その存在の重みにはまったくの揺るぎがない。アンコール・ワットは永遠に神の棲む家、神と出会う聖なる城都である。
(日の出)
(暁光を浴びる周壁の西塔門)
クメール(アンコール)王朝(802〜1431年)には六百三十年間に二十六人の王がいた。アンコール・ワットはヒンズー教のヴィシュヌ神を信奉した第十八代王スールヤヴァルマン二世(1113〜1150年)により造成された。王は当時分裂の危機に晒されていた王国を再統一し、三十年の歳月をかけて新たな王宮と城都を王国の象徴として建造した。アンコール・ワットとは「寺院のある都」を意味する。王宮ではあるが王の住居ではなかった。神を祀る社(やしろ)であった。
科学(サイエンス)への希求が高まる近代を迎えるまで、宗教は宇宙の真理を解き明かす唯一の学問であり原理であった。自然界や人間の運命を左右する超越的な力への畏怖と崇拝が信仰として人々の暮らしを支えてきた。四世紀にインドで誕生したヒンズー教はブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神を三大神とする。古代ヒンズー教の起源であるバラモン教では宇宙の創造主であるブラフマー神が最高神として信仰されたが、カンボジアに伝わったヒンズー教では、シヴァ神とヴィシュヌ神が最高の二大神として崇められた。
アンコール王朝では九~十世紀にはシヴァ神が崇拝されることが多く、十二世紀になるとヴィシュヌ派の勢力が強くなった。 シヴァ神は破壊の神である。破壊後に創造を行う神として生殖崇拝と結びつきリンガ(男性器)がその象徴である。アンコール・ワットをはじめ多くの遺跡に残る石塔や尖ったモニュメントはリンガを表す。ヴィシュヌ神は太陽の化身とされ世界を維持する役割を担う。数本(四本が多い)の腕を持ち、ガルーダ(怪鳥)に乗り世界が滅亡の危機にさらされるとさまざまな化身となって救済に尽くす。ヴィシュヌ神のへそから生じた蓮の花から生まれたのがブラフマー神で、世界の創造神であるが、人々を救済する役目がなかったためか、カンボジアでは影が薄くなった。
アンコール・ワットの伽藍の中心部にはヴィシュヌ神を祀る中央祠堂が配置され、四基の尖塔がこれを取り囲む。中央伽藍は王と神とが一体となるための宇宙の中心と繋がる霊場であり、王の権威と権力を具現化する象徴として造成された。同時に、王の死後、神と一体となるデーバ・ラジャ(神王)思想に基づく王の墳墓としての役割を担う施設でもあった。王は死に、造成工事は中止され、未完成のまま残されて今に至る。クメール王朝の滅亡後はシャム(今のタイ)の侵攻によって仏教寺院となった。その後も数奇な運命を辿り、つい最近二十世紀末にはクメール・ルージュ(ポル・ポト政権)崩壊後、武装した残党が追い詰められてここに籠城し、史跡の各所は破壊され、戦闘の場ともなって、あちこちに痛々しい弾痕が残された。現在は多くの観光客が訪れる世界有数の文化遺産であるとともに、現役の上座部仏教寺院として世界中の多くの仏教信徒の心の拠り所となっている。
(参道入口側から仮設の浮き橋と南側環濠を眺める。奥が周壁)
大伽藍は南北1300メートル、東西1500メートル、幅200メートルの環濠に囲まれている。環濠は海を表す。四方を海に囲まれた壮大な伽藍は完全なシンメトリーをなす幾何学的配置に置かれ、荘厳な存在感を放っている。環濠を渡る東西の二本の道のみがアンコール・ワット城内へと続く経路である。現在は上智大学アンコール遺跡国際調査団によって修復のために西参道の環濠部分は閉鎖されており、その脇の仮設の浮き橋が参拝者の歩くことできる経路となっていた(2020年頃までの予定)。
(創建当時は中央祠堂に祀られていたヒンズー教のヴィシュヌ神は周壁西塔門の脇に祀られている。八本の腕を持つ)
(石畳の参道)
(十字回廊の入口)
(経堂から中央祠堂を見る)
日の沈む真西が施設の正面である。西は日の沈む地、入滅を意味する。塔頂部が崩壊した周壁の西塔門からまっすぐに東に向かって続く石畳の参道の先には十字テラス、十字回廊を経てアンコール・ワットの中心部分をなす伽藍が続く。参道の両脇には経堂と聖池がある。今年は干ばつで水が少なく花の咲く時季を迎えた睡蓮もわずかな水辺に寄せ集まって葉を広げていた。
(朝の睡蓮)
(干ばつで水の少ない北側の聖池)
伽藍は砂岩を精緻に積み上げた三層構造になっている。
各階を取り巻く回廊の内壁や外壁は多彩なレリーフ像で埋められている。神話に始まり勇ましい王の足跡が刻まれている。
(神話「乳海攪拌」のヴィシュヌ神)
(王の行軍)
(叙事詩「ラーマーヤナ」に登場する敵の魔王ラーヴァナ、20本の腕と10の顔を持つ)
(18本の手に剣を持つ閻魔大王「ヤマ」のレリーフ、水牛の背に乗っている)
(陽気なアプサラ・ダンス(天女の踊り))
第一回廊の壁面には古代インドの壮大な叙事詩が緻密なレリーフとして刻まれている。
北側は悪魔に奪われた妻を取り戻す叙事詩「ラーマーヤナ」、南側はヒンズー教神話の源である「マハーバーラタ」という物語が展開する。南面西側はこの聖蹟の創建者であるスールヤヴァルマン二世の行軍の様子、南面東側は「天国と地獄」が描かれている。伝説の勇者や王の頭上には軽妙に踊るアプサラ(天女)たちが天を舞う。 東面南側は世界の創生を伝える「乳海攪拌」、北側は神と阿修羅との闘いの図が残る。
伽藍を支える石柱や隔壁には優美な女神(デバター)像がさまざまな様相で参拝者を迎えている。微笑む女神、踊る女神、肩を組み楽しげに集う女神たち。髪型や髪飾り、身にまとう装飾品が多彩だ。個性豊かな女神たちは見るものをたちまちにして果てしない時空の渦へと誘う。
(第二回廊の中庭に面する壁面には多彩なデバター(女神)像が刻まれている)
(妖艶な女神たち)
(第三回廊への急峻な階段)
(窓を飾る石造りの桟は日に当たりアンコール・ワットの尖塔のシルエットを描き出す)
(屹立する中央祠堂(右))
明かり取りの役目を果たす石造りの窓は数珠玉のような構造の縦の桟を持ち、窓から広々とした境内と石畳の参道や聖池が眺められる。日にあたる桟のなす影はアンコール・ワットの尖塔のシルエットを描き出す。
少しづつ高みを増す第一回廊、第二回廊、第三回廊へと石段を登ってゆくと、最上部に東西南北の四方を尖塔に囲まれた中央祠堂に辿り着く。ひときわ鋭い塔頂を持つ中央祠堂は底抜けの空から降り注ぐ光を浴びて輝いている。近づくものを寄せ付けない威厳を放つ。遭遇に言葉を失い孤高の影を見上げて立ちすくむ。まるで時間のない明るい奈落に沈んでしまうような不思議。天も地も人も渾然となってただそこにあるだけとなり、「在ること」も「無いこと」も輝きを失う超然とした空間。願い、憂い、悲しみ、歓び。さまざまな思念が音もなく風となって消えてゆく。かつてこの地に立った王が何を思い、何を感じたか、想像すらできないが、少なくとも彼が目指したこの地の神聖は今も時を超えて訪れるものの胸に迫る。
(第三回廊)
(中央祠堂と清めのための沐浴池)
(真西に延びる西参道の遠景)
(遺跡は深い森に囲まれている)
常夏の熱帯に注ぐ刺すような光や巡り来る激しい風と雨に晒されて渋茶色に風化した石積みの屋根から、微かな笑い声が聞こえたような気がした。あるいは千年の日々を尖塔から見下ろす女神達の声だったのかもしれない。奇跡のような束の間の出会いに対する歓迎と再び会うことはないだろう永遠の別れを祝福する声のように感じた。すべては錯覚なのだろう。それでも、ここに辿りつくことができた夢のような出来事を遺跡に潜む精霊達に心から感謝したいと念ずには居られなかった。