灼熱のカンボジア巡礼旅_神々の降臨に出会う場所

 古代カンボジアにはたくさんの神々が降臨した。アンコール・ワットやアンコール・トム以外にも神々と出会う遺跡が数多く残されている。

思いが記憶の底に沈む前に、訪れた聖地についてわずかでも記載しておきたい。

〇バンテアイ・スレイ(十世紀末)(8月19日)

遺跡の名前は「女の砦」を意味する。十世紀末に王の一族によって菩提寺として建設されたヒンズー教の寺跡である。赤色砂岩と赤い焼き煉瓦、赤いラテライトで造られた遺跡はクメール美術の最高峰とされる。赤い遺跡である。

深い森に守られ、小規模ながら、優美に深掘りされた女神像、緻密で繊細なレリーフに飾られた建物、均整のとれた伽藍はクメール美術の至宝の呼び名にふさわしい。遺跡を守るヒンズー教の神々や伝説の妖精が白昼から闊歩する。まるで妖気漂う異界に迷い込んだような雰囲気に圧倒される。そんな不思議のなかで永遠の微笑みを浮かべる女神と美しい遺跡の佇まいは深い慈悲と未来永劫に続く優しさで訪れるものを祝福しているように思えた

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(リンガに守られた赤い参道)

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(遺跡の入り口に掲げられた由来を記す碑文)

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〇タ・プローム(十二世紀)(8月18日)

クメール王朝中興の祖ジャヤヴァルマン七世が母親の冥福を祈り築いた大乗仏教バイヨン様式の霊廟僧院である。のちにヒンズー教寺院に改造された。創建当時、僧院には慰霊のために五千人を越える僧侶や六百人におよぶ踊り子達が暮らし、周囲には三千の村があったとされる。十九世紀半ばに密林の中で発見された。自然の脅威を示すためあえて発見された当時のままの神秘的な姿で公開されてきたが、崩壊が進み今後の遺跡の存続が危ぶまれている。

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タ・プロームは「梵天の古老」の意味。梵天は仏教に取り込まれたヒンズーの三大神のひとり、「ブラフマー」(世界の創造主)の呼称である。樹齢数百年を越える榕樹(ガジュマル)の巨木に侵食され抱かれる神々の姿はこの遺跡の辿った悠久の時を静かに語っている。

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(ヒンズー寺院に改装時に剥ぎ取られたブッダの像)

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〇ニャック・ポアン(十二世紀末〉(8月18日)

インドに伝わる病を癒す伝説の池を模したとされる正方の池とその中央に祠堂が建つ。ジャヤヴァルマン七世によって築かれた仏教寺院の遺跡である。名前の由来には「絡み合う蛇」の意味がある。かつては池を取り巻き重い病に苦しむ人々を収容する施療施設が築かれていた。主には心の病の人々がここで施療を受けていたという。中央池を取り囲み東西南北に小池が配置され、農耕文化を支える王の治水技術を示す象徴でもあった。池にうかぶ中央祠堂に接して、美しい女に化けた悪魔によって孤島にさらわれた18人の人々が救済を求め観世音菩薩の化身である神馬(ヴァラーハ)にしがみつく姿が等身大で再現されている。このなかで観世音菩薩を崇めたシンハラ青年だけが助かったという伝承が残る。

雨季なのに干ばつで池は干上がり、籠いっぱいにお供え物を携えて祈る幼い子連れの若夫婦の姿が印象的だった。この地もまた信仰の場として現在を生きていることを実感した。

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(絡み合うナーガ(蛇神)の像)

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 (神馬(ヴァラーハ)にしがみつき海を渡ろうとする人々)