灼熱のカンボジア巡礼旅_終章:カンボジアの文化と暮らし

わずか5日間のカンボジア巡礼旅であったが、旅慣れぬ身には、この国の様々な風景や文化はきわめて興味深いものだった。三人、四人と人を乗せて縦横無尽に走るバイク、クラクションを鳴らしながら行き交う数え切れないほどのトゥクトゥク(三輪タクシー)の群れ、荷台に大勢の人を乗せ交差点の急カーブを曲がるトラック、遺跡にたむろする小物売りの子供たち、色とりどりの果物や衣類を売る屋台、バンガローハウスのような高床式民家、生い茂るヤシやココナツ、・・・。常夏のこの国ではあちこちで牛が緑の草を食み、鶏や軍鶏や裸足の幼児と野良犬が走り回り、日が沈むと夕食を求めて串刺しの肉を焼く道端の屋台に人が溢れ、伝統音楽に乗って優雅に踊るアプサラ・ダンスに時を忘れる。昔ながらにゆったりと優雅な時間を暮らす微笑みに満ちた人々の姿が見えた。

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(典型的な農村の民家)

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(窓の少ない民家の庭にはハンモックが吊るされている)

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(肉牛だろうか)

都市部を離れると壮大な田園が広がる。田畑のなかにぽつり、ぽつりと高床式の民家が見えた。かろうじてどの家にも電気は通じているが、上下水道施設はなく、水は井戸か川で汲んだ溜め水、燃料は薪か炭で、トイレは離れた屋外に造られている。実際、バスで移動中に立ち寄った休憩所に隣接する売店では、直径1メートルを超す大きな甕の底に残る濁り水を調理に使っているようだった。いわゆる平均寿命は男が65歳、女が55歳だという。真偽は不明だが、女性はたくさんの子供を産むので寿命が短いとガイドが説明した。

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ニャック・ポアンの北口参道で伝統楽器を奏で施しを求める戦争被災者)

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(色とりどりの衣服を売る店)

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(ドリアンをはじめ特産の果実を売る屋台)

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(実を丸ごと冷やしたココナツ果汁は乾いた喉を潤すのに最適。一個1ドル)

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(常設の店舗のように整然と軒を連ねる移動式屋台の売店

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(ココナツ椰子の実)

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(山盛りのドリアン。ホテルの入口には持ち込み禁止と書いてあった)

行きずりの旅行者の目に映るしあわせに溢れた光景にも深く暗い闇がある。拡大する貧富の差、ワイロが当たり前の軍属政治、容赦ない中国の経済侵略と批判する者をたちまちに収監してしまう独裁政権、沿道はプラスチックごみが溢れ、スコールとともに川となる道。その中を走り回るバイクを運転する人々はほとんどが無免許で、自動車の運転免許はワイロを払って手に入れるという。観光客相手の外国資本による超近代的なホテルや観光施設が立ち並ぶメインス・トリートを逸れると暗く低いトタン屋根でできた庶民の市場やバラックのような民家が立ち並ぶ。目に光のない土産物売りのこども達はきちんと学校に行けているのだろうか。過去と現在と未来が混然となって息づく東南アジアを象徴するような風景に出くわす。

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(花売り)

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(屋台の炭売り)

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(ゴキブリが走り回るオールド・マーケット)

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(女神と踊る天女)

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(遺跡のレリーフと同じポーズをとるアプサラ・ダンス)

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(雷神を退治する女神の踊り)

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(アプサラ・ダンスを鑑賞したビュッフェ・レストラン「AMAZON ANGKOR」、食事込み$13。でも名前が気に入らない、なぜアマゾン?)

クメールを先祖とするカンボジアの人々はそもそもが農耕の民であり、身近に神仏を崇め、争いを好まず、従順で信心深い民族なのだろう。インドシナ半島の覇者として君臨したクメール(アンコール)王朝の国力は時とともに衰え、十五世紀になるとシャム(タイ)に攻略され、栄華を極めたアンコールの王都は忽然と放棄された。このあと、王国は都を転々と移し、長い流浪と苦難をたどる。金銀をはじめとしてルビーや翡翠などの豊富な地下資源があるカンボジアは、シャムの侵略に加えてベトナムにも隷属を強いられ 、とうとう十八世紀後半には王国は存亡危機に陥った。困窮した王は当時アジアに進出してきたフランスに救いをもとめ、1863年にはフランスの支配下に入り、1887年にフランス領インドシナ連邦が成立すると、植民地の一部に編入された。都会の街並みがどことなく洗練されているのは植民地時代のフランス文化の影響だろう。

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(フランス庭園のような公園)

神と仏を敬い、神仏の加護の下、自然と共生する伝統的な、温和な暮らしを愛するカンボジア人には独自の民族意識が薄かったのかもしれない。太平洋戦争末期には民族の自立を支援する日本軍に占領されたこともあったが、大戦が終結し世界に束の間の平和が訪れた1953年にシハヌーク国王によって念願の独立を勝ち取るまで、長く暗迷な世界史の闇に沈んでいた。

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(スコールの道、慣れた風情で裸足で歩く住民)

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シハヌーク殿下が治めた17年間はこの国の人々の最も「幸せな時代」だったと現地ガイドが問わず語りに呟く。ほどなく米ソの冷戦を背景に二十年におよぶ「ベトナム戦争」が勃発すると、ふたたび隣国とのあいだに軋轢が生じた。軍事クーデターや狂信的な共産主義者の権力争いの荒波に揉まれ、ついにはポル・ポト政権による残虐で暗愚な時代へと流されていった。知識階級や都市に住む無抵抗な住民が理由もなく虐殺された。屍累の数は300万人にも上るといわれる。都市は無人の廃墟となり、優れた頭脳や貴重な文化の伝承者を失い、国家は荒廃した。それがつい三十年にも満たない以前、つい最近のことである。

今では立憲君主制国家として新たな体制を築きつつあるが、自由で公平な民主国家へと発展するにはいまだ険しい道のりが残されている。

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(植民地時代に造られたナポレオン三世の首を挿げ替えたシハヌーク殿下の銅像

カンボジアの食事は美味しかった。ホテルの朝食も市中で食べたランチや夕食も淡泊な日本食に慣れている旅行者にも食べやすい献立だった。

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(クメール伝統料理の盛り合わせ。中央上はバナナの花の皮のサラダ)

f:id:darumammz:20190816181833j:plain(クメール伝統料理はどれも食べやすい)

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カンボジア風中華料理はまったく普通。冷えた現地ビールが美味い)

現地ガイドによると、インドシナ半島のタイ、ラオスベトナムの文化はもともとはすべてカンボジアに由来すると力説する。身内びいきを差し引いても、カンボジアには世界遺産に匹敵する千を越す歴史遺産があるというのはおそらく真実だろう。いまだ密林に眠る未発掘の史跡は数え切れないほど残されているという。

原色が溢れ、微笑みに満ちた豊穣の国カンボジアに、こども達の輝く瞳に会いに、またいつか機会を作って訪れたいと思う。