麗江ぶらり旅〜(その3)玉龍雪山とナシ族の文化

麗江周辺に暮らす少数民族のナシ(納西)族にとって万年雪を抱く玉龍雪山は神々の住む聖地だという。
標高5596メートルの高山は雲に覆われて麓から頂を見ることができないことが多く、広州に立ち寄った際の地元のバスガイドからは眺めることができる幸運を祈っていると空港に向かう途中に言われた。
まさに幸運に恵まれて、麗江に滞在した四日間は連日快晴となり、朝日に輝く日の出から日没までくっきりと霊峰の姿を眺め続けることができた。


天気に恵まれた場合にだけ催行されることになっている、今回のツアーの目玉のひとつの玉龍雪山展望台に立つことができたのはこのうえない感動の経験だった。
元日の朝、ゴンドラに揺られて訪れた標高4506メートルの氷川公園展望台では遮るもののない全天空の展望を堪能した。



ここからさらに上を目指して歩けば、4680メートルの地点まで登ることができるが、初めて経験する超絶のこの高度は空気が薄く、息が切れて、一歩一歩の脚が重く、歩くのがやっとだった。
賑やかに騒ぐ中国や韓国の若い観光客が列をなして上を目指しいていたのが少しだけ羨ましかったけれど、高山の厳しさを十分に満喫できたので展望台より上に登るのは諦めた。今、アコンカグア登頂最高齢者記録の樹立を目指している三浦雄一郎氏の冒険を一部疑似体験できたのはまたとない体験だ。
風に音がない。眩しくて目を開けているのが辛い強烈な紫外線が降り注ぐ氷原に立っていると天と地の間にいる不思議を感じた。玉龍雪山の名前の由来は陽を浴びて銀色に輝く氷河が天空を舞う龍に見えるという中国人らしい譬えに由来するらしいが、きっと誰でも、翼があればこのまま天上へと飛んで行きたい気持ちになるに違いない。

ナシ族の伝統的な信仰と宗教は日本と同じで万物に神々が宿る自然崇拝を基盤とした多神教だ。素朴な自然信仰に近い。その点では日本の古来からの神道との共通性を感じる。風貌や気質も日本人に似ていて先祖の由来を想像するのも面白い。
氷川公園から下った後は、ここも聖地の雲杉平(うんさんへい)を訪ねた。雲南杉の森を抜けると玉龍雪山を遠景に広がる山中の平地で、ナシ族の信仰では天国への入り口に相当する場所だそうだ。日本であれば立山連峰の室堂平というような場所かもしれない。火山の噴気はないので室堂平のような張り詰めた緊張感はなく、牧歌的な草原の広がりにここに住む民族のおおらかさを感じた。
由来と伝説を聞くと、かつてここは寄り添うことのできない運命の若者たちの心中の場所だったそうだ。ここに来て聖山を眺めながら来世での逢瀬を誓い、ひとときの安らぎのあと、永遠の愛の成就を願って毒草を食べて心中を図った場所だという。天国への入り口は悲恋のロマンに彩られていて、立山のような殺傷気が漂う天国と地獄の境目とは趣が違うようだ。

おとぎ話のような由来とは裏腹に、大勢の観光客が記念写真を撮り気勢をあげていた。ガイドの話では最近、中国で流行っているネズミ講の団体がこの日大挙してここを訪れているとのことだった。いずれは破綻があきらかなネズミ講の仕組みは最近怪しげな団体によって日本から持ち込まれた仕業らしく、いかがわしい事業の隆盛にガイドは眉を潜めていた。
アーバスはこのあとも景勝地を巡るプランになっている。海外旅行のツアーに参加したのは今回が二度目だ。予備知識がなくても次々に観光地を繋いで案内してくれるので、自分のようなズボラで学習なしに参加するものには楽チンこのうえないが、次々と色々な場面に遭遇すると段々とこんがらがってしまい、次第にどこを訪れたのかわからなくなってしまうのが難点だ。
次に訪れた玉龍雪山を望む藍月谷(らんげつこく)や甘海子も美しい場所だった。

(藍月谷)

(甘海子の石碑前にて)
中国は多民族国家だ。いま問題となっているアメリカやヨーロッパの移民による多様性とは大きく異なり、この国では有史以前の先住民と歴史の中で浮き沈みする侵略者によって書き換えを繰り返す世界史の中の多様性に基づいている。十分調べたわけではないが、中国では現在五十六部族の民族が住んでいるらしい。圧倒的多数を占めるのが現在の政権を担う漢民族で、その他にも千数百万からせいぜい数万人の民族まで多種多様な民族がそれぞれの風習や信仰を拠り所として暮らしを維持している。
日本でも基本的には先祖の出自は多様であるのだろうけれど、少なくとも現在では日本に住む多くの在来人は民族としての執着はすでに希薄になっていると言っても大きな間違いはないだろう。節句やお盆など、日本古来の習慣や土俗的な信仰と中国をはじめとした外国から伝来した風習が渾然と混ざり合って日本の文化の現在を形作っている。今年、平成が終わり新たな元号となる日本と日本人のアイデンティティとは何かと考えてしまう。

(束河古鎮の露天商)

現在の中国の発展の勢いがいつまで続くのか、誰にも予測はできないと思うが、経済や社会の発展は永遠に続くことはないのが歴史の真実だから、今後のこの国の在りようがどのように展開するのか、多くの人々の関心を集めているのがうなづける。日本を離れ外国の空気を吸うと、今更ながら、地球人である自分と向き合う機会になるのは間違いない。
現地ガイドに聞くと、これまでの中国の治世者の中で誰が一番尊敬されているかと言うと、訒小平だという。毛沢東も根強い人気があるという話だった。いづれの政治家も現代中国の発展の礎を築いたことで尊敬を集めているようだ。かつての文化大革命の時代、伝統を徹底的に破壊する機動力となった紅衛兵だった若ものたちもそろそろ50代、60代に差しかかっている。「白猫黒猫論」として今も記憶に残る改革開放路線を足場として、次の現在の働き盛りがこれからの中国を大きく変える担い手となりつつある。この大国も確実に次の時代に向かっているのだろう。
そんなことを考えると苦手な世界史にも少し興味が湧いてくる。

(白沙近郊のチベット仏教寺院・王峰寺門前で’営業’するナシ族の老婆たち)


麗江とその周辺には三十万人のナシ族が住んでいるという。それ以外にも多種多様な辺境の少数民族の装う民族衣装は色鮮やかで、彼らが受け継いできた固有の文化がこれからも大事に受け継がれてゆく時代が続くのか、少しばかり心配になってくる。でも、訪れたあちこちの旧跡で真新しい民族衣装で着飾った若者達が結婚記念のアルバム製作用に記念写真を撮る光景に出くわすと、そんな危惧が意味のないように思えてきた。