ステイ・ホーム

認知機能の衰えを防ぐために高齢者にとって重要なものは「キョウヨウ」と「キョウイク」であるという。

「キョウヨウ」は教養ではなく「今日、用がある」、キョウイクは教育ではなく、「今日、行くところがある」である。

新型コロナウイルス感染症の流行で次々と新しい言葉が登場した。パンデミック、オーバーシュート、ロックダウン、ソーシャルディスタンス、「三密」の自粛に加えて、新たにゴールデンウィークを目前に「ステイ・ホーム」が叫ばれている。

訪問者が来ないように海岸は立ち入り禁止、観光施設は門を閉ざし、公園の駐車場は閉鎖された。明るい日差しの溢れる春真っ盛りに咲き誇る薔薇やユリなどの花冠が次々と切り落とされる映像を見ると心が萎える。自然の営みがあっけなく切り捨てられる光景に生命の儚さと不条理を実感する。

窓の外の輝く新緑を眺めながら、一日中家に籠城している。映画館もデパートも本屋も休業して、こども達の遊び場の遊具ですらテープを貼られてしまいこどもの声も聞こえない。唯一の楽しみとなった惣菜探しのスーパーマーケット巡りも三日に一度にするよう要請され、老人には用もなく、行くところもなくなった。数少ない救いは花屋が開いていること。もう置き場所がないのについつい新たに藤の鉢植えを買ってしまった。

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テレビのニュースを朝から晩まで眺めている。感染症患者の発生と死亡者の増加が繰り返し放送されて、何時、自分の番が来るのかと呆然となる。無感動になるのは危険な兆候だ。気を取り直し、もっと頭を使うためにネタがなくてもブログでも書かないといけない。

免疫力の維持には体力の温存にも努めなければならない。認知症予防も兼ねて朝いちばんのテレビ体操と日中は毎日1時間は歩くように心がけている。しかし、行けるところが無いので自宅の近所をぐるぐる徘徊するしかない。見廻すとあたりは同様な徘徊老人ばかりである。日本は老人の国であることを今更ながらに目の当たりにするとこの国の将来がどうなるか、ますます不安になってしまう。

手指を動かす作業療法を兼ねた箱作りは活況だ。様々な大きさの箱が出来上がっている。まるで内職仕事のようだ。売り物にならないのが残念である。

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(左から筆記用具入れ、メモ用紙いれ、小物入れ、充電用電源函)

(少しずつサイズを変えてあり、全て重ねてすっぽり入るようにしてある)