空港のない西表島へは石垣島から高速船に乗って渡る。石垣港離島ターミナルから小一時間だった。
旅行好きの友人から一生に一度は見る価値があると勧められて、この南海の島を訪れることにした。
サガリバナは沖縄地方で六月末から七月にかけて咲く花で、夜中に花が開き、夜明けともに散ってしまう一晩だけの花である。
西表島は他の八重山列島の島々とは異なり山と森の島である。平地が少なく、猫の額のような海辺に人々が暮らしている。山が海に迫って、島を一周する道路がない。
かつては石炭が採れたことから一万人以上の住民がいたけれど、炭鉱が廃坑になり今では二千四百人あまりがこの島で暮らしている。
白い珊瑚の浜と透明度の高い蒼い海でのダイビングやシュノーケリングなどのマリンスポーツが人気で、海に注ぐ曲がりくねった川の水辺には日本一の広さを誇るマングローブの森が広がり、この島にのみ生息する固有種の植物や動物に事欠かない。
深い森の中を流れる川の上流には多数の美しい滝があり、マングローブの森の中を複雑に流れる川を巡るカヌーの旅と亜熱帯の森に奥に佇む滝巡りも観光の目玉となっている。
6月25日朝5時過ぎに自宅を出て成田空港9時半発のLCC(ピーチ航空)に乗り石垣島を経て午後2時半に西表島の上原港に着いた。思いのほか近い。
静かな島である。宿は港から歩いて20分ほどにある民宿マリウドに3連泊した(0980‐85‐6578、 1泊二食付き6500円と格安)。山小屋風の建物の中は掃除が行き届いており、庭からはすぐ前に海が見える。木曜日のせいか、あるいはコロナウイルスのせいで旅行自粛のためだろうか、宿は空いていた(だからすぐ予約が取れたのだろう、でも週末は一杯になった)。新館の食堂で食べる朝夕の食事はなかなか工夫が凝らされていて料金からすると大変充実した内容だった。
(本館入り口)
(以上、夕飯。献立は入り口近くの看板に書いてある)
(こちらは朝食。簡素だが心がこもっている)
新しく建てられた新館と古風な本館がある宿で、新館は洋風のベッドの個室、本館は床に布団の伝統的な和風の部屋だった。腰痛持ちで柔らかいベッドが苦手な身なので床に直に寝れるのは有難い。入ってすぐのロビーに相当するスペース(かつての食堂か)には長いテーブルが置かれて、カウンターにはお茶やインスタントコーヒー、熱湯に冷水、製氷機があり、なんと二十四時間二種類の泡盛が飲み放題だった。ちなみに西表島では泡盛は作っていないようだった。港の売店でも石垣島産の物しか置いていなかった。
初日は港周辺の探索や昼寝で過ごした。
老人家庭は朝が早いので、二日目のガイドツアーの集合時間である朝四時に何にも不安は感じなかったが、早めに(いつも通りの)就寝時間に床に就いた。
二日目(6月26日)、四時に民宿出発。ガイドのケンさん(民宿マリウドの重鎮スタッフ、森上顕一氏)に連れられて白浜港からカヌーに乗って仲良川を遡りサガリバナ鑑賞とナーラの滝ツアーに出かけた。白浜港はこの島を半周する自動車道の西の果てにあたる。この浜からカヌーを漕ぎ出した。
まだ夜明け前の海は黒々としてカヌーの淵から海に手を入れると夜光虫が光る。初めての体験に心が躍る。およそ二時間漕いでサガリバナの咲くポイントについた。風がなく静かな仲良川(ナカラガワ)の川面に落ちたサガリバナの無数の花弁が出迎えてくれた。少し時期が早すぎたのか、あるいは不作の年なのか、マングローブの水辺から下がる花房数はそれほど多くはない。縄のれんのように視界一面に下がる花房の群れは見られなかったが、白い花、ピンクの花、株によって少しずつ色が違う。
静寂のなか、カヌーを漕ぐとパドルが水を切る音とともにアカショウビンやサンコウチョウの独特な鳴き声が聞こえた。鳴きながら森から飛び立ち遥か上空の雲を越えて飛ぶカンムリワシの姿を眺めた。
写真を撮りながらののんびりカヌーツアーは水面に近い目線から花を見る機会となって和やかな癒しの時間となった。サガリバナの群生地を過ぎ、カヌーを降りて森の中をヒルに吸い付かれながら歩き、およそ30分ほど生い茂る亜熱帯の森の中の山道を歩く。何度か渡渉を過ごすと目的地のナーラの滝に着いた。
ここで朝食である。事前に仕込んだ材料を調理してケンさんの作った八重山蕎麦をご馳走になる。私達以外には誰もいない。滝壺に落ちる水の音を満喫しながら食べた熱い蕎麦は絶品だった。食後のデザートには桑の実のジャムを乗せたクラッカーと切ったばかりのピーチパインだった。
帰りはまた二時間カヌーを漕いで昼前に宿に戻った。
昼食は民宿で食べられないので、ガイドさんのオススメの港近くの新八食堂で食べた。定番のゴーヤーチャンプル定食とスパムと卵焼き定食を食べた。
午後は島内をドライブした。車で行けるもっとも南側の南風見田(はえみだ)の浜はのちに特別天然記念物と認定されたイリオモテヤマネコ発見の地だ。怪我をして保護された野生の山猫が新種の固有種であることがわかりこの島の象徴となった。
西表野生生物保護センターでは剥製を展示していた。現在は保護する山猫はおらずビデオで生態を見せていた。できれば、対馬に行った時に見たツシマヤマネコのように生きた本物を見てみたかった。記念にヤマネコとカンムリワシの缶バッチを貰ってきた。
(お土産の缶バッチ、下段は対馬で貰ったヤマネコのステッカー)
森を貫く舗装道路を走っているとすぐ道沿いの木にカンムリワシの幼鳥が飛来してきた。慌ててシャッターを切る。この島のもうひとつの特別天然記念物である。予想外の出来事に動転してピントの合った写真は二枚しか撮れなかった。
干潮の時刻を迎えた海辺は見渡す限りの干潟となり、この島でもっとも人気があるピナイサーラの滝を望む海中道路から無数の小さな蟹やトビハゼが眺められた。干上がった海辺は少し赤みのあるピンク色の浜だった。
三日目は浦内川の遊覧とマリュウドゥの滝とカンピレーの滝見物トレッキングに出かけた。マングローブの中をほぼこの島を横断するように流れるこの川は沖縄地方でもっとも長く大きな川である。河口から遊覧船に乗り広々とした川を遡る。メヒルギやオヒルギ、ヤエヤマヒルギの生い茂るマングローブの森の中を風をきって進む。亜熱帯の初夏は格別の暑さだった。まだ朝の10時前だったけれど、日差しは強く、すでに全身が汗びっしょりになる。風が心地よい。船ではS旅行社のツアーの一行と一緒になった。コロナウイルス感染で海外旅行に行けないために企画されたのだろう、国内の秘境巡りに参加する高齢者ばかりの団体はこの暑さで具合が悪くならないのか、人ごととは思えず心配になった。
中流の船着き場は軍艦岩と呼ばれる場所だった。ここから往復2時間のトレッキングだ。道は綺麗に整備されている。カンピレーの滝は滑滝である。さらに先に行こうと思ったが川沿いの道は苔に覆われて滑りやすく断念した。水辺に座って出発前に上原港そばの無人販売所で買ってきた冷えたままのピーチパインを食べた。
ここで折り返す。民宿の名前にもなっているマリュウドゥの滝は二段の滝で、すぐそばの水辺に下りる階段は破損して下りられず、眺めるだけだった。堂々とした滝だった。S旅行社の団体はここまでが遠足のコースのようだった。
(次につづく)