土用の鰻

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雨の日が続く毎日。去年取った種子から育った朝顔に連日青と赤の花が咲く。

今日は日曜日、久しぶりに昼前から日が差した。

夏の常食スパイスカレーの材料が底をついたので電車に乗って買いに行った。

調べてみると我が家のスパイスの在庫は19種類(シードとパウダーを数えると21種類)。

基本となるクミンパウダーがもうないのでこれから夏を控て補充が不可欠だ。

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京急線日ノ出町から歩いて数分の裏町にあるインドスパイスの専門店では近所のスーパーマーケットや百貨店の3分の1以下の値段でスパイスを買うことができる。しかも種類が豊富。なんとインド旅行で買ってきたブラックカルダモンシードが現地(シッキム)の市場より安く売っている。

全部で10品まとめ買いしたので6千円あまりになった。これでそおそらく半年は持つだろう。

お昼時になったので関内駅前の老舗の鰻店「わかな」に鰻を食べに行くことにした。

明後日は土用の丑の日だ。

予想どおり昼時を控て店の階段は長蛇の列、席に着くまでおよそ40分、注文がくるまで20分。結局、店に入って1時間あまりで鰻重にありついた。

この店のたれは甘みが抑えてあり、やや辛い。個人的にはもうすこしだけ甘味があるほうが好みだ。たれのレシピはその店の秘伝なのだろう。

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まずはビールのつまみのウザク

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次は肝吸いに付け出しのお新香

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待望の鰻重

年中行事になった土用の丑の日の鰻食いで、すっかり満腹になった。また腹がでてしまう、

ちょうど文化勲章受章の小説家、阿川弘之のエッセイ「食味風々録」を読んでいるところだった。

文豪の多くが食べものについて書き物を残している。この書にも鰻の蒲焼がでている。広島育ちの氏ではあるが、東京帝大卒で関東の味に慣れているからか、関東の鰻の蒲焼が関西風より口にあうようだ。

名古屋には郷土食「ひつまぶし」があるし、地方にはその土地その土地で育まれた鰻料理がある。

すでに20数年以上前になるが、九州柳川の町で食べたひつまぶしの濃い味わいが記憶に残っている。

鰻はかつて庶民にも手の届く御馳走だった。池波正太郎のエッセイーにも母親が一人で好物の鰻の蒲焼を食べに行く逸話がでている。女手一つで子育てに身を削る下町のおかみさんのささやかな息抜きの場面が印象的だ。古典落語のネタとしてもたびたび現れる。

寿司やすき焼きと並んで日本を代表する鰻料理ではあるが、遥か昔の江戸時代には、庶民の身近で下賤ともいえる食べ物だった。どうも江戸時代はぶつ切りにして焼き、タレをつけて食べたようだ。

いまではまったくの高級料理になり、年に一度丑の日に食べられれば幸せな、高嶺の花のような食材になってしまった。高級料亭でうんちくを並べるグルメにとってさえ絶滅危惧種の天然物なんぞもってのほか、国産の鰻はとっておきの御馳走である。

阿部弘之はスペインで食べた鰻の稚魚が絶品だった書いているが、あるいは近い将来、日本鰻は天然記念物になるかもしれない。東南アジアの海で捕獲した稚魚から養殖はできても、いまだ卵の採取や完全な養殖に成功していないから、この先まったく口に入らない幻の食材になるかもしれない。

これからは、年に一度の鰻記念日に、財布の底をたたいての老舗巡りも悪くない。それぞれ店の伝来の調理法を味わうのも、なかなかおつな趣がある趣味だろう。

息女の阿川佐和子の新刊エッセイ「アガワ家の危ない食卓」を図書館に申し込んでいるが、順番が来るのはまだまだ先になるようだ。

彼女にも食に関する多くのエッセイがあるが、この親にこの娘あり。氏(うじ)もあり、育ちもありで、食文化は未来に受継がれてゆくのだろう。

夜になってもお腹が空かず、夕食はあっさりと冷やしたところ天だけ食べた。

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