五年という時間

f:id:darumammz:20200810073921j:image

今から五年前は、いよいよ翌年の春の定年退職を控えて三十年以上勤めた職場で現役で働いていた。ずっと昔のように思える時があるが、つい昨日のように感じる時もある。

時間の長さには定めがない。ある時は短く、ある時は長い。過去に遡るといっそう時間の長さが曖昧になる。

今日は長崎に原爆が落とされて七十五年目を迎えた原爆の日である。

すでに多くの町が焼け尽くされ、敗戦の色濃い戦火にまみれたこの国では、それでも多くの国民は健気に戦争を戦っていた。数十万にのぼる若い兵士が戦場に命を捧げ、多くの国民が雨のように降る焼夷弾で焼かれて命を落とした。真夏の暑さの中で二つの都市ではさらにその上に容赦ない灼熱の巨大なエネルギーが投下され、多くの人々の命が消えた。

そんな悪夢のような惨劇は自分が生まれるわずか五年前の出来事だった。

悲惨な戦争の終焉から五年後に命を授かり、戦争を知らない世代として日本の復興とともに成長期を過ごした。飢えを経験することもなく、夢のような未来都市を目指して建築が進む東京タワーや空を塞ぐ高速道路を見上げ、東京オリンピック大阪万博がこの国の無限に続く明るい未来を象徴するものと疑うことなく青春を過ごした。

そんな世代が生まれるわずか五年前に多くの人々が生と死の瀬戸際に立っていた。

戦争が無意味であることを忘れてはならない。今もなお世界中で勃発する無謀な殺戮に無関心であってはならない。

すべての人は賢く、愚かで、凶暴である。

戦争で散った多くの犠牲者の冥福を祈りたい。

時間は長く、そして短い。