M 式「海の幸」森村泰昌展を観に行く

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コロナの第6波がいつ来るのか、心中穏やかざる年の瀬を迎えた。おまけに猛威を奮ったデルタ株ではない、さらに凶悪な新たな変異株のオミクロン株の国内への侵入で一気に緊張感が高まる状況になってしまった。今のうちに行動しておかないと今度こそ都市封鎖がおきるかもしれない。そんな状況だから、行けるうちにと、東京駅八重洲口近くのアーティゾン美術館に「 M式「海の幸」森村泰昌.ワタシガタリの神話」を観に行った。

アーティゾン美術館は聴き慣れない名前だが、旧ブリヂストン美術館だ。足を運んだ目的の美術展は、セルフポートレイトをライフワークとする現代美術家森村泰昌による明治の夭折の天才画家、青木繁「海の幸」オマージュ展だ。展示は序章に始まり、4部構成になっていた。

はじめに、序章として青木繁の自画像と森村のセルフポートレートが対峙して展示されている。

第1章では有名な青木繁の「海の幸」、神話を題材にした「わだつみのいろこのみや」や「大穴牟知命」、千葉や九州の海や田舎の漁港の風景画が壁面に描かれた森村の詩を添えて並ぶ。

第2章、第3章は「海の幸」へのオマージュとして、森村自作自演のポートレイト10作品の製作過程、完成した明治から昭和、平成にいたる時代を描いた森村の M 式「海の幸」が並ぶ。

第4章は青木繁に扮した森村が真っ白なキャンバスに向かい青木に語りかける動画だ。M式オマージュ作品を時代の移り変わりの中で裏打ちする構成となっている。28歳で夭折した青木の死後、日本がどのような変遷を辿り、どのように変貌したかを軸に、命の源である「海」について森村が語る。

美術展(展覧会?)はM式の完成品を見せるだけではなく、製作過程をパフォーマンスとして展示している点が面白い。すべてがアナログで、作品の背景や舞台は三次元の手作りの模型として製作されている。着色された模型の素材は発泡スチロールのようだ。再現された色鮮やかな衣装や靴なども展示されている。これらを用いて多数のセルフポートレイトを作成、構成、加工して、三次元模型とともに合成して作品を完成させている。衣装の製作を除き、すべてが森村ひとりの手作りによる手法は、まさにM式なのだろう。

10作品の9点目は病床で青木が描いた遺作の朝日の海岸へのオマージュで、白衣を着た医療者が海のかなたを眺める姿が表現されている。画面の端にはガスマスクを装着した医療者(科学者か?)がいる。最後の10点目は縄文の埴輪を思わせる金色の人形が跪く海岸の風景だった。豊穣の海への回帰を暗示する。

現代美術家森村泰昌もすでに70歳を過ぎた。展示された作品は、紛れもない彼自身が作り上げたM式だ。この作者らしい個性が並ぶ。惜しむらくは、10点の作品が平成時代のメイド喫茶の衣装をきた女性のポートレイトで終わっていたことだ。インターネットやスマートホンによってもはや自由を失い、時間と空間を束縛されている現代の姿がない。アナログ構成の2次元画面のM式は、既視感のあるノスタルジックな雰囲気だった。

現代美術が多彩になり、インスタレーションを含め2次元から3次元、さらに時空を超えたバーチャル世界へと進展し、さらにこれからどこへ向かおうかとしているか、素人には分かりにくい。その点では M 式は極めて理解しやすいが、表現の原点を昭和の時代に置く、すでに古典と言っても間違いがないようにワタシには感じられた。

日本の美術の登竜門であり象徴でもある東京藝術大学の学長に、ダンボールアートで有名な現代美術家の元祖、日比野克彦氏が就任するそうだ。おそらく芸大も変わらなければならない時代だからだろう。未知の病原体や不気味な人工知能を含め、21世紀は混沌の時代になるのだろう。あるいはブラックホールのような暗黒の時代になるのかもしれない。

帰路、全く次元の異なる思いに囚われた。過去から未来、そして原点回帰。あるいはそれが森村の意図したこの美術展の目論見なのかもしれない。まんまと森村の術にはまったもしれないと思って帰ってきた。