アラスカ物語

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新田次郎「アラスカ物語」(新潮文庫)表紙を飾る星野道夫の写真

新田次郎の「アラスカ物語」を読んだ。

小説は今からおよそ100年あまり前、主人公である宮城県石巻市出身の安田恭輔が北極圏の未開の地アラスカに渡り、その人生すべてをこの地に暮らす原住民に捧げた物語である。白人による人種差別や彼等と原住民との軋轢が渦巻く時代を舞台に話が展開する。綿密な取材を縦糸にし、横糸には移ろうアラスカの四季をこの小説家独特の文学的修辞を用いて、清逸に誇張なく紡がれた伝記小説だ。

極北に訪れた予期せぬ金鉱の発見によってアラスカはゴールドラッシュの狂騒時代を迎える。一攫千金を夢みて怪しい山師やならず者達の爆発的な流入が起き、食料需要の増大や狩猟の近代化による鯨や海獣の乱獲の結果、資源の急速な減少が起こる。伝統手法によって支えられてきたささやかな生活を維持できなくなったアラスカ原住民社会が崩壊する様が史実に基づいて克明に描写されている。

この地ではフランク安田と呼ばれるようになった主人公とエスキモーとの交流が淡々としかも温かな筆致で描かれて物語は進む。抗う事のできない時代の変遷の中でエスキモー(イヌイット)が守ってきた昔ながらの暮らしに行き詰まる中、アメリカ政府から届く豆や小麦などの支援物資を口にせず、先祖伝来の生肉しか食べることができない食習慣によって多くの餓死者が出る状況や氷原で寝てしまえが容易に叶えられる口減らしのための老人の自殺など、深刻で希望のない暮らしが冷静な文章で描かれる。

飢餓が引き金となり、生き延びるために新天地への移住が唯一の希望となった極北の原住民が、安住の地を求めて先祖から受け継いだ氷原の暮らしを捨て辿った過酷な旅の惨状が、科学者でもあった作者が客観的に余すところなく書いている。遠くブルックス山脈の麓に築かれる新たな町作りに奔走し、原住民を根気よく率いたフランク安田はのちにアラスカのモーゼと呼ばれるようになる。

実直で、あるいは愚直といっても過言でもない彼の現地びとへの貢献にもかかわらず、日本との戦争の勃発によって敵性民族として収容所に送られる理不尽な運命をたどる安田の人生が、美しい氷原と北極圏の鯨漁に彩られた白夜や日の登らない日々が規則的に入れ替わる極北の物語を経て果てしなく広がるアラスカ中部の原野の暮らしへ引き継がれて物語は終章に向かう。

広大なスケールの大自然と善悪を超えて躍動する物語に心が躍る。小説の記述は淡々と進むけれど、日本を捨て二度と故郷の地を踏まなかって男の生き様に心が震えた。アラスカの四季の移ろいや生き物達の克明な記述にも心が揺さぶられた。

この小説で今から百年少し前にエスキモーの集落が麻疹の流行で全滅するほどの厄災があった史実を知った。現在の新型コロナウイルス感染と同様なパニックが起きたのだろう。有史以前から連綿と発展し続ける人間の叡智を持ってしても、あるいは人工知能が発達してシンギラリティと言われるようなコンピュータに支配される未来においても、人類はきっと未知の感染症と果てしない戦いを繰り返して行くのだろう。

実際、新たな命を創り出す再生医学や宇宙の果てを解明するほどに科学が進歩した現在においても私達は変異を繰り返すコロナウイルスという予期せぬ感染症になすすべもなく打ちひしがれ、この2年で第六波と呼ばれるまで繰り返す病魔の凄まじい襲来にただじっと行き過ぎるのを待つしかないのが実情だ。

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チェナホットスプリングの上空に広がるオーロラ

読み終えてかつて退職記念に訪ねたアラスカの原野を思い出した。黄葉に色づくデナリ国立公園を尻を振りながら闊歩する灰色熊の姿や異様に大きな角を持つムース(ヘラジカ)のノソノソ歩く姿が鮮明に蘇る。アラスカをこよなく愛した写真家、星野道夫が住んでいたフェアバンク郊外のチェナ温泉の素朴な飛行場の上空に音もなく揺らめくオーロラの冷たい焔が懐かしい。生きているうちにもう一度極北の地を踏みしめたいと心から願う。

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オーロラと北斗七星

一日でも早くこの閉塞感に押しつぶされそうな日々が終わり、美しい日本の春を喜ぶ明るい言葉に出会いたいと願うばかりだ。

新田次郎の渾身の一冊を一年で最も寒い大寒の時期に読み終えて、百年の時空を飛び越え既に知る人の少なくなった開拓者の生き様に困難に立ち向かう勇気を少しだけ貰うことができた気がする。