冬のオリンピック

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(沈む満月と日本の夜明け、 AY氏の写真借用)

冬季北京オリンピックもあと二日を残すのみとなった。

今回のオリンピックはコロナ下の厳重管理下の開催ではあったけれど見どころ、話題の多い大会だった。記憶に残る大会だったと感じる。

メダルの数で言えば、昨年の自国開催である東京2020が、1年延期やコロナ禍での開催であったものの史上最高の58個(金27、銀14、銅17)の獲得と日本代表は大活躍だった。しかし、地元開催にも関わらず、全体としての印象は薄かった気がする。体操の内村航平、水泳の池江璃花子をはじめサーフィンや空手、スケートボードなど話題や劇的な展開、多彩な心に残るドラマも少なくなかった。しかし、やはりコロナの影響だろうか、精神的に夢中になれなかった気がするのは自分だけだろうか。心から愉しめた気がしない。

同様にコロナ禍の中の開催である冬季オリンピックであり、世界中がコロナ感染に侵され、国内でも昨年以上に感染の蔓延が深刻で、開催国である中国も日本同様に厳しい管理下での大会開催だ。感染による選手の欠場、不透明な判定、会場の整備不良を思わせるアクシデント、ドーピングに対する IOC の不可解な対応やことなかれ主義、不自然な失格判定、中国国内の人種差別問題や権威主義国家体制、隣国ロシアのウクライナへのきな臭い軍事侵攻危機など、話題の尽きない大会だったと思う。健康で健全であるべきスポーツの祭典がこれまで経験したことのない自己矛盾を抱えての大会になったように感じた。

本来のオリンピック精神に則れば、この催しは人類の発展と調和、共存、平和の象徴であるはずだ。人種差別や戦争のない、明るい未来を築くための祭典であるはずである。その趣旨から言うと、ある意味今回のオリンピックは21世紀を生きる、現在の人類が抱える危機と困難をあからさまに晒す大会だったと思う。お祭りごとがかえって、いろいろなことを浮き彫りにする機会となったのではないか。

とは言え、世界中の選手が競った各競技は感動的で、強く印象に残る展開が多かったのも率直な印象だ。

日本代表では羽生結弦小平奈緒の怪我や故障、フィギュアスケートスノーボードでの新たなヒーローの出現、ノルディックスキーでのゴール直前の手に汗を握るデッドヒート、高梨沙羅のユニフォーム違反、カーリングの劇的な逆転など、記憶に残るシーンが尽きない。アルペンスキーの不振は残念だった。これはきっと日本のスキー人口の減少の象徴だろうか。

その中でもスピードスケートの高木美帆の大活躍による金銀メダルの大量獲得は凄い。まさにオリンピック史上に残る快挙だ。超絶技巧で空高く舞うスノーボード平野歩夢の姿も忘れられないシーンだった。これまでとは違う時代を感じた。

今回の大会は熱く、深い大会だった。かつてこれほどに、国や人種、自らのアイデンティティ、祖国や愛国心とは何か、スポーツ競技の持つ意義や価値、生き物の性(さが)としてのエゴイズムなど、私達の直面する根幹的な課題について考える機会となったスポーツ大会はなかったように思う。

叡智を集め、勇気と希望と決意を持って、これからの人類の未来に幸あれと心から祈りたい気持ちになるのは、自分だけではないだろう。

ちなみに津軽で過ごした大学時代はスキー部に所属していた。12月下旬のクリスマス前から2月中旬まではスキー合宿が日課で、岩木山山麓国民宿舎大鰐温泉スキー場の大学のヒュッテで過ごす毎日だった。雪に埋もれた北国の冬、野外で出来ることと言ったら、スキーか雪合戦くらいだから、ごく自然な選択だったと思う。

種目は距離スキーだった。アルペンスキーは歩きはじめると同時にスキーを履いて育った東北地方や北海道出身の部員がほとんどでとても彼らの相手になるような競技に出られるような技倆はなく、同じスキー部でもひたすら野山を走り回る体力勝負のノルディックチームに所属していた。

ノルディックチーム員はわずか4人。出場する学部毎の大会競技は15キロ、8キロ、ひとり4キロを4人でつなぐリレーの3種目だった。ひとりでも欠けるとリレー競技に出場できなくなる。だから、ひとたびこのチームに入ると新たなメンバーの加入がない限りやめられない掟だった。毎日、午前午後ともに20キロを走破するのがノルマだった。腰痛を除きこの年まで元気に過ごせているのはこのときに体を鍛えたおかげだろう。ちなみに腰痛の原因もこのスキー三昧の生活が少しは関係しているのかもしれない(あとの原因は無雪期の登山だろう)。

白銀の野山を朝日や夕陽を浴びながら無心に走る悦びは何ものにも代えられない貴重な体験だった。素晴らしい青春だったと思う。