身延山久遠寺日帰り桜見物

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久遠寺の枝垂れ桜

明日から新年度を迎える令和三年度最後の日に、青春18きっぷが残っていたので、山梨県身延山久遠寺に桜見物に出かけた。久遠寺は枝垂れ桜が有名な日蓮宗の総本山だ。

青春18きっぷは先週、山陰本線の旅で使った残りだ。山陰本線紀行はいずれ書きたい。

今年の三月下旬は寒暖の差が激しい日が続いた。それでも先週は数日続いて暖かい日があったので、桜が一気に開花して四月になる前に早々と満開を迎えてしまった。新型コロナウイルス感染も山を越えたし、これといった予定もなかったので、身延山に行って桜を愛でることにした。

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身延山久遠寺三門

朝六時半に自宅を出て、東海道本線を熱海、沼津と乗り継ぎ、富士で身延線に乗り換えて身延駅には十時半に着いた。駅前から山梨交通バスに乗って身延山久遠寺の三門に着くと次男一家に出会って驚いた。今朝電車に乗ってしばらくしてから身延山に行くことをメールしておいた。この身延山参りとはまったく無関係に彼らは息子の春休みに合わせて今日からキャンプに行くことは以前に聞いていた。どこに行くのかは知らなかったが、話を聞くと白州がキャンプの目的地でその途中で身延山に桜見物に立ち寄ったのだった。私の身延山花見旅は昨夜遅く決めたことだったので、まさかこの場で出会うとは夢にも思わなかった。こんな偶然はなかなかないだろう。

身延山の花見は二度目だ。前回はおよそ20年前になる。

三門を過ぎ杉の巨木に挟まれた恐ろしいほどの急勾配の石段(菩提梯、287段)を登ると一面桜に囲まれた久遠寺大本堂の建つ境内に辿り着いた。下を覗くと目が眩む。左脇には五重塔、右には祖師堂、報恩閣、御真骨堂、仏堂と一列に伽藍が並ぶ。満開のソメイヨシノを脇に従えて境内には樹齢四百年といわれる枝垂れ桜の巨木が春の盛りとばかりに花びらを四方に散らしていた。

石段は一気に登り切ったものの息が切れてしばらく鐘楼(大鐘)の脇のベンチで休まないと歩けない状態になった。孫達一家は何事もなかったように早々と本堂に登って行ったけれど付いて行けず、心肺能力が若い頃とは違ってしまったことを自覚した。けれども、この急登を登れたのだからまだしばらくは生きてゆくには支障ない気もした。まだまだ大丈夫だろう。

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久遠寺大本堂

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本堂をお参りして回廊のように繋がる建物を周回した。前回の参詣の記憶ではこんなに自由に寺の内部を歩けなかったように思う。途中、御真骨堂では日蓮聖人の生涯を描いた絵巻物の一部が展示されていた。身延山は聖人が佐渡島から帰還後に開山されたとあった。入滅はこの地ではなかったが、遺言により遺骨はここに埋葬されている。現在に息づく鎌倉仏教を開いた偉人達が多くの困難を乗り越えて後世につながる日本固有の仏教の礎を築いた。その双璧は親鸞日蓮である。ある意味、現代日本人の精神性の多くを彼らが造ったといえるのだろう。

参詣の後、斜行エレベーターで男坂の終点まで降り、桜並木に沿って急な坂を下った。三門から少し行った門前町の食堂でみんなで熱いホウトウを食べた。長男が甲府の大学に通っていた時以来の、久しぶりのホウトウ賞味だった。甲府近辺の味とは少し違って、味噌仕立ては同じだがややしょっぱい(からい)気がした。

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帰り道は身延から甲府、高尾、八王子と青春18きっぷを使ってJRを乗り継いで帰る。石和あたりでは車窓の景色を桃の花がピンク一色に染めていた。各駅停車の車両に揺られながらしだいに夕刻が近づくおぼろな景色を眺めつつ大月駅を過ぎるあたりでこのブログをほぼ書き上げた。鈍行旅行記の一丁上がりである。

八王子でJR横浜線に乗り換えると紙袋に花束を入れたスーツ姿の勤め人が停まる駅ごとに次々と乗ってきた。今日が年度末であることを思い出した。定年退職する人、転勤で職場を去る人、あるいは自己都合で離職する人たちなのだろう。各駅停車の電車は悲喜こもごも、さまざまな人生を支える生活手段としてなくてはならない足として貢献してきたことだろう。はからずも自分が職場を去った日のことが思い出された。もうずっと昔のことのような、昨日のことのような、複雑な思いがこみ上げてきた。

自宅には19時に帰還した。十二時間あまりの周遊旅行だった。