断捨離なのに本が増えている

f:id:darumammz:20250618135306j:image

梅雨入りしたと思ったらいきなりの真夏日が続き、暑すぎて何処にも出かけられない。今朝目覚めると外気温はすでに25℃を超えていた。昨日も今日も最高気温が35℃近い酷暑だ。あまりの暑さで散歩や図書館にも行けず、晴耕雨読と気取っているどころではない。真剣に生命の危機管理が必要だ。エアコンをしっかりかけて体調管理に気が抜けない。でも運動不足で筋力が落ちてしまうのが辛い。だんだんと歩く速度が落ちてきているので尚更だ。

先週末は横浜中華街で職場の元上司のTM大先輩の卒寿の会で幹事を務めた。南は沖縄、四国、北は東北宮城県から参加してくれた懐かしい面々と何十年ぶりかの再会を果たした。幸いこの日は小雨のぱらつく曇り空だったので涼しくて助かった。もう数日ずれたら静岡在住の主賓の参加や会の開催も覚束なかったに違いない。主賓はもう90歳だが、参加者の中では自分も三番目の高齢者だった。次は白寿の会で会いましょうと会をお開きにして、主賓をホテルまで送って行ったけれど、主賓に君は歩くのが早いねぇと言われてしまい、ちょっと笑った。

昨年から溜まりに溜まった書類や写真に蔵書やガラクタをどんどん処分している。いよいよ断捨離である。ところが部屋の荷物が減ってスッキリして気が緩み、また本を買い込んでしまいみるみる書斎が狭くなってしまって元の木阿弥状態。

最近手に入れた本では「仏教美術入門・全六巻(平凡社発行)」が秀逸。あちこち探して古本をインターネットで購入した。原始仏教の始まりから、日本仏教の美術遺産まで網羅された全集で、コツコツと読み進めている。合わせて関連する本も購入してしまい、読む本には困らないが、第二次断捨離をどうするか、悩ましい。

自分自身は死後の世界やあの世があるとは思わないし、極楽浄土や来世や輪廻転生もあるとは思わないけれど、素朴に命の不思議や宇宙の永遠と神秘に心が震える時がある。何故か、という答えのない疑問に囚われてしまうことはないけれど、この世界は不思議と神秘に満ち溢れていると感じることは日常だ。世界中の多くの人々が神の存在を信じ、日本人が神や仏を身近に暮らしていることに少しの違和感も感じない。特に、気の遠くなるような太古から現在に至るまで連綿と息づている身近な「仏教」という宗教が生み出した建造物や偶像や美術品が信仰とは何かを形にして物語っているだろうから興味が尽きない。