映画「国宝」を観てきた

このところ上着を翻すほどの北風と冷たい雨が降る日が続いている。つい二十日ほど前まで、半袖に半ズボンの軽装で過ごしていたのが嘘のようだ。朝と夕方には床暖房をいれ、ダウンの上着を着て過ごしているのが不思議な気がする。今はもう晩秋の気候となったしまった。

天気さえよければ、例年の年中行事のように、高い空の下で黄金色に染まる湿原トレッキングや芸術の秋にふさわしい上野公園の森の散策と美術鑑賞にでも行きたいところだが、急な寒さと雨で意欲がわかない。近場でできる気分転換(そんな必要のないようなストレスのない生活ではあるが)では、映画を観に行くことも、その他の選択肢のひとつではある。我が集合住宅の目の前には映画館があり、玄関を出てものの5分もあれば劇場の椅子に座れるからだ。

気持ちの悪いスリラー映画や悲惨な映画は観たくない。ガチャガチャうるさい映画も気が進まない。できればハッピーエンドか、観終わったあとほっこりできる娯楽作品や馬鹿馬鹿しいけれどすっきりできる楽しい冒険譚がよい。選択肢のなかにはその時に話題になっている流行物(はやりもの)もある。いわゆるただの「ミーハー」(後述)なのである。

映画「国宝」

そういう嗜好なので、まだ観ていない映画で空前の大ヒットとなっている映画「国宝」はどうか。難点は上映時間が長いこと、およそ3時間に及ぶ映画なのでなんとなく敬遠してきた。途中でトイレに行きたくなったらどうしようかと心配になったしまうからだ。内容は知らない。せいぜい歌舞伎をテーマにした吉田修一の長編小説が原作くらいの知識しかなった。

歌舞伎には興味があり、一度は直に歌舞伎座や演舞場で本物を観てみたいとは思ってきたが、いまだその機会がない。他に観てみたいと思っている映画がない訳ではなかったが、流行物にはそれなりの理由と価値があると思うので、重い腰を上げてこれを観に行くことに決めた。調べるとおあつらえ向きの朝九時から昼過ぎまでの上映スケジュールがあった。午前中なら途中で眠くなって鼾をかくこともないだろうし、朝食後に水分制限さえすれば3時間のトイレは我慢できるだろう。

この映画はアカデミー賞を受賞した「フラガール」や「悪人」などの話題作の多い社会派監督、李相実が監督だった。いずれの作品も観ていないが、映画を観終わったあとこのブログを書くために調べてみると、この人は新潟県出身の在日朝鮮人三世だそうだ。なにも事前に知らなかったことで、おそらく、日本生まれの在日三世が描く日本の伝統芸能はどうなのだろうかとか、余計な先入観やバイアスなく映画を観ることができたのはかえってよかったと思う。自分自身の経験でも、外国籍でこの国に生まれ育ったものには、日本の文化や伝統を客観的にみたい、自分なりの評価と理解をしたいという潜在的な意識が自覚の有無によらずあるに違いないと思うからだ。

さて鑑賞後の感想は、やはり長い(長尺な)映画だった。ネタバレになるので内容についての詳細は省くが、第一に、歌舞伎という伝統芸能を美しく描いた作品だというのが率直な印象だ。監督が日本の伝統芸能である歌舞伎をこよなく愛していることがよく理解できた。主人公をはじめとして登場人物達の人生模様を横軸に、伝統や血縁、血筋や家柄を縦軸として描かれたほろ苦い友情と現実の厳しさを描いた映画だった。途中で省かれてしまった詳細な時間の経過には説明不足な不満が残ったし、ハッピーエンドで終わる作品ではあるものの、なぜか喉の奥にザラついた記憶がのこる作品でもあった。自身が愛する美しい伝統への賛歌に加えて、おそらく監督が描きたかったことのもう一つには、日本社会が内に秘める容赦ない現実なのではないだろうかとも思えた。そしてなにより、個人の努力と才能は、抗いがたい血脈の力と同じように大輪の花を咲かす原動力になりうることを描きたかったのではないか。娯楽作品としての美しさのなかに、ずっしりと心の奥に沈殿する重さのある映画だったというのが感想だ。

水分制限とトイレを済まして映画館に入ったはずなのに、やはり見始めて1時間半くらいでトイレに行きたくなってしまった。残りの1時間半は結構な我慢が必要だった。これは歳のせいではなく、きっと予想外の秋の寒さのなせる意地悪だったのだろう。

ところで、前述の「ミーハー」という言葉は、流行に流されやすい、浮ついた性格という意味の、どちらといえばネガティヴな意味合いのある蔑称なのだそうだ。昭和の時代の言葉で、たしかに最近は耳にすることがない俗語だ。今時の若者に言っても通じない死語かもしれない。たまたま、その由来を調べたら面白いことが書いてあったので、蘊蓄として書き残しておこう。

「ミーハー」の語源にはいくつかの説があるという。そのひとつに、明治時代の坪内逍遙幸田露伴の小説に由来があり、「みいちゃん」と「はあちゃん」の略語で、若い女性の典型的な愛称だったという説。「美(みい)ちゃん」の「みい」、「はあ」は「春(はる)ちゃん」が「はあ」となって出来たというもの。英語の「Me,too(私も)」「Oh,her!(あら、彼女!)」という言葉からの造語、また力士仲間の隠語で愚か者を意味する「はあちゃん」に由来するとする説、音階のミとファに由来する言葉遊びに由来するという説(なぜこれがいわゆる「ミーハー」を意味するのかは不明)。明治末期に発明された若い女性が大好きなデザートの「みつまめ」と昭和初期にデビューした俳優の「林長二郎(のちの長谷川一夫)」大好き人間の頭文字から「ミーハー」ができたという説などもある。日本語の由来は面白い。