上野の東京国立博物館に特別展「運慶 祈りの空間ー興福寺北円堂」を観に行ってきた。
弥勒如来像を中心に、その後方に無著、世親兄弟の立像とそれを取り巻くように四体の四天王立像が、かつて奈良興福寺北円堂で配置されていた様式を再現して展示されていた。
いずれも日本の歴史上最高の彫刻家である運慶(とその弟子)の手によって生み出された国宝である。特に、無著像はこれまで創造された日本彫刻の最高傑作とされている。
兄の無著(むじゃく、アサンガ、無着とも書かれる)と弟の世親(せしん、ヴァスバンドゥ)は四世紀にガンダーラ地方(現在のパキスタン北西部に存在した古代都市)に実在した大乗仏教の根幹をなす唯識論を完成した兄弟である。

兄の無著は天上の兜率天で弥勒菩薩に「唯識」を直接に教授されたとされ、世上に持ち帰ったこの思想を弟の世親が詳しく解説・整理して「唯識論」として完成させた。偉大な仏教思想家兄弟である。興福寺北円堂の三尊はこの伝承と史実を踏まえて、造形されている。なお、余談であるが、無著に唯識を教示した伝承の弥勒は実在の人物であったという説もある。
大乗仏教の主要な経典である大般若経、法華経、阿弥陀経などはすでに西暦150年頃には成立していたとされる。これからの経典によって展開される大乗仏教を支える根本理念にはふたつの重要な論(解釈あるいは注釈)がある。ひとつが無著・世親によって大成された「唯識」論である。もうひとつの根本理念が「中論」である。「中論」(中観)はインド中央に位置するデカン高原に生まれた龍樹(りゅうじゅ、ナーガールジュナ)によって大成されたと伝えられる。無著、世親の生まれたおよそ百年前の二世紀後半から三世紀の頃の出来事とされる。龍樹は、それまでの原始(初期)仏教や部派仏教の「無我」、「非我」、「無常」などの思想を背景に発展的に生まれた大乗仏教における「空」の思想を精緻に体系化した。さらに、これに加えて「中道」を貫く大乗仏教の思想的背景が、龍樹によって完成されたとされる。唯識と中論は独自に発展したとされているが、北伝仏教の時空的な経緯を踏まえると、中論(中観)を踏まえて唯識論が生まれたと考えたほうが理解し易いように思える。
大乗仏教の根幹をなす思想体系は「空」の教義を土台にして、「中論」と「唯識」の二つの論に支えられる理念によって成り立っている。空の概念を車軸とし、中論と唯識のふたつの思想を車輪の両輪として、それまでの部派仏教(上座部仏教)とは異なる新たな大乗仏教が生まれ、はるか千五百年以上の時を超えて北伝仏教として強固な仏教体系を構築して現在に伝えられている。日本仏教はその末裔に位置する。
古典的な大乗仏教では「中論」を宗教的な拠り所とする「中観」派と唯識論に拠って立つ「唯識」派に大別される。奈良の興福寺は唯識派に属する法相宗の寺院であり、その再興に際し仏師であるとともに僧侶でもあった運慶が北円堂に弥勒、無著、世親像を制作した事由はそこにある。
仏教信者でも仏教研究者でもない普通人の自分には「空」も「中観」も「唯識」も説明できるほどの力量はないが、この根本思想が現在の日本仏教に受け継がれていることを認識することはできる。これについて項を改めてどこかで考察してみたい。
大乗仏教が南伝仏教と最も異なる思想体系には、「空」、「中論」、「唯識」の理念と、さらにこれらに加えて「利他」が根本原則であることを明記しなければならないだろう。「利他」思想こそが在家信徒の取り組むことができる身近な宗教的行為として、深淵で難解な大乗仏教を大衆的な次元にまで押し下げる原動力となっている。
仏陀となったゴーダマ・シッダルタを起源とする釈迦牟尼の開いた仏教では「自利」を原則として副次的に「利他」が位置付けられていた。自らが悟りを目指し仏陀になることが最終的な宗教的目的であり、こだわりを捨て輪廻の循環から離脱することで永遠の涅槃に至ること。悟りは涅槃に至る過程であり、唯一無二の仏陀に至ることが叶わなくても菩薩業を積み重ねて涅槃を目指すことが宗教的な到達点であるとされていた。そのためになすべきことは自らの精神的な俗世界からの離脱であって、補助的な他者からの支援が利他であった。他者を助けるのでなく、他者によって支援されることが利他である。他者は自利に励む修行者に帰依することによって恩恵を得る。それが結果としての利他である。現在の南伝仏教にはこの思想が色濃く残影している。上座部では喜捨に感謝することは厳しく諌められている。
奈良法隆寺に伝わる国宝「玉虫厨子」の側面にも虎に自らの肉体を飢えた虎の親子に与える寓話が描かれているのが有名だ。
大乗仏教のこの理念は、伝統的な部派仏教思想と真っ向から対立する。自らのためではなく、他者の利益のために身を挺することが宗教的な最終目的となり得るとされる。自らの命を捧げてでも他者の救済のために尽力し、時によっては法を犯してでも他者を救済することこそが利他の目指すものである。他者を利する高徳こそが涅槃に至る過程であると説かれている。
大乗仏教以前の仏教では仏陀に二者はなく、釈迦牟尼こそが唯一無二の仏陀であり、仏陀の入滅後、末法の世を経て、56億7千万年の時空を経たのち、新たな仏陀が現れるとされていた。衆生はどのように精進や諸行を重ねても菩薩までにとどまり究極の如来の姿の仏陀になることができない。今生に仏陀は実在したひとりのみの、唯一の存在とされている。
一方、大乗仏教では仏陀になった釈迦牟尼は永劫に繰り返される輪廻の一隅にその姿となってこの世に出現したひとりの仏陀に過ぎないと説く。宇宙には目の前の現世と異なる多次元の時空世界が存在しており、たまたまこの目の前の現世の世界に現れたのが仏となった釈迦牟尼であるに過ぎず、無限の宇宙には無限の仏陀が存在するとする。気の遠くなるほどの限りない暗黒に対する絶望感は複雑だが、新たな世界と新たな多数の仏陀の出現の可能性を説く大乗仏教の大きな潮流は民衆(大衆)にとって明るい希望を肌身に感ずる事ができる身近で実現可能な宗教論を展開する。これが大乗仏教独特の死生観や世界観が生み出されることに繋がって行く。この多様性の宗教観がやがてそれぞれの仏教世界を固有に形作る大乗仏教の宗派となって展開していった。
仏教は本来、未来永劫に続く輪廻の苦渋から離脱し、心の安寧を得る「悟り」に至ることがが最終的な到達点とされていた。時を経るに従い、自らの悟りと同次元で、仏による救済を求めることが信仰の本願へと変化していった。超然的な絶対的存在である「仏陀」によって、様々な現世の苦痛からの解放を希求するように変化していったのは在家信者である一般民衆の素朴で本質的な宗教観である。民衆は仏教に帰依した僧侶を仲立ちとして、天上世界に数多住む「仏陀」集団の力に縋るようになり、その結果、時空を越えた多彩な如来や菩薩が複雑に出現あるいは創出されることとなった。信仰によって成り立つ宗教は基本的に貴賤の隔たりなく万民のために存在する。疫病や病苦、悲惨な死からの救済は、時とともに薬師如来、観世音菩薩(観自在菩薩)、千手観音菩薩などの諸仏へと引き継がれ、やがて誰でもが決して避けて通ることの出来ない最大の不条理に至る死と死滅後の究極の苦痛を救済する阿弥陀仏が出現し、死後の永遠の救済として極楽浄土への成仏が説かれるようになった。
釈迦牟尼によって開かれた仏教はやがてインドを離れ、およそ千年の月日を重ねてガンダーラを経て中央アジアからチベット、中国を経て日本へと伝来した。その過程において、独自の展開と変容が生まれた。おそらく宗教そのものがそれを必要とした信徒・民衆の望むものと願いを反映しながら自らの姿を進化させたのだろう。あるいは宗教が“生き物”としての存続をかけて自らの姿を進化させたのかもしれない。長い「時間」は人間の営みや日々の労苦に大きな変化をもたらす。時代とともにインドでは民衆の熱狂的な支持を得たヒンドゥー教が国民宗教となりインドの住民の大勢を占めるようになった。仏教発祥の地であるインドでは次第に仏教は衰退へと向かい、経過の中で多神教であるヒンドゥー教の影響を受け入れ、それまでの顕教とは異なる秘密性の高い密教が生み出された。中国では瞑想とヨーガ(瑜伽行)を主体とした禅宗が誕生した。やがて十三世紀にはインド古来の仏教はヒンドゥー教に取り込まれ消滅の運命を辿った。インド亜大陸に住む仏教徒は現在住民の1%以下となっている。一方、北伝と南伝としてインドを離れた仏教は現在も新たな地で息づいている。
仏教は西暦六世紀に日本に伝来した。仏教は国家権力者によって支配された官制宗教であった。素朴な多神教的自然崇拝によるアニミズムが伝統的な信仰形態であった古代日本に、超大国で先進的な文明と文化を誇る中国から伝来した仏教は、深い思索と高度な論理性を持つ真理に支えられた知的な思想として時の支配者に支持された。その象徴的存在が聖徳太子であった。彼は日本仏教発展史上最大の功労者である。奈良時代の南都六宗として整備された国家宗教は、国の安寧と権力者のための、いわば自らを防衛するための拠り所、あるいは手段として歓迎された。希求されたという方が正しいのかもしれない。一般民衆・衆生の手の届く信仰ではなかった。八世紀には日本仏教に革命をもたらした二人の偉人がいる。伝法大使・最澄と弘法大師・空海である。日本仏教は彼等二人によって新たな展開を迎えることとなった。以後、日本国内で伝承された中国由来の大乗宗派仏教は、激動する時代とともに新たな精力的な指導者(開祖)を生み出していった。彼らは膨大な伝統的な大乗経典の中から拠り所とするひとつ、あるいは数点の経典を選択して宗派ごとの根本原理として定め、現世に苦悩する民衆の救済を目指して独自の宗教的世界観を切り拓き、現代へと繋がった。
時には為政者による政治的な戸籍管理の目的とする人別制度に組み込まれ、あるいは死者を死後の世界へと導く職能的な専門集団とみなされて葬式仏教と揶揄されることがあるものの、それぞれの宗派は特徴のある宗旨を掲げて民衆や為政者に対する活動を続けた。日本仏教は日本人の深層的心情に深く根を張り、一般大衆にも手の届く民間宗教へと発展し、現在では、南都六宗系、平安仏教系、鎌倉新仏教系、禅宗系へと分かれて存在し続けている。
現代の日本仏教は「仏教十三宗派」に大別されるのが一般的だ。南都六宗(三論宗、成実宗、法相宗、倶舎宗、華厳宗、律宗)として栄えた日本の古代仏教で現在まで存続するのは法相宗、華厳宗、律宗の三宗派である。さらに天台宗(日本天台宗)、真言宗、浄土宗、浄土真宗、時宗、融通念仏、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗、黄檗宗などが、現代日本仏教十三宗派と呼ばれて、現在も活発な宗教活動を行なっている。
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記載を中断して半年が過ぎてしまった。今日は令和8年5月28日だ。
日本仏教を自分なりに整理して、この宗教についての理解を深めるつもりで、このブログは今回で完結編としたが、これが結構な難事業だった。この間、兄の急逝など、いろいろことがあった。遺族の意向で葬儀にともなう宗旨替えや寺替えもあって、この経験によって、日本における仏教の今日の姿や日本人の死生観や死者の弔いについてさらに思考を深める機会が与えられた。
現代日本仏教十三宗派のうち、現在もっとも広い底辺をもつものは浄土真宗と日蓮宗関連宗派だろう。この二大宗派は他の宗派と異なる趨勢を示す。二宗派とも最澄が伝え、整理、発展させた日本天台宗をその源流とするけれど、法華経を根本教義とする日蓮宗関連宗派と浄土教にはその他の日本の大乗仏教宗派とを大きな違いがある。この二宗派系はともに他宗派と異なり排他的である特徴が共通する。
思考を深めるために、昨年末は日本仏教伝来に縁の奈良の古寺を訪ねた。飛鳥寺の飛鳥大仏にお参りし、聖徳太子ゆかりの橘寺や法隆寺、日本仏教に初めて正式な受戒(戒律)を授けた鑑真の唐招提寺、聖武天皇の東大寺での年越しなど、を再訪し日本仏教の源流に接する旅をした。



昨年夏には北伝仏教の伝来経路を辿る敦煌莫高窟を見学し、西安では玄奘三蔵法師ゆかりの大慈恩寺大雁塔や義浄ゆかりの小雁塔を訪ねた。さらに、今年の五月のゴールデンウィークにはさらに仏教伝来の道を探索するために、シルクロードと西域のタクラマカン砂漠縦断、玄奘や鳩摩羅什ゆかりの庫車(クチャ、古代のオアシス国、亀茲国(きじこく))やカシュガルに脚を伸ばしてみた。西域訪問記は詳細は別に書きたいと思う。

翻って、もう一度日本仏教について考えてみると、今更ながらであるが、あることに気がついた。現代日本仏教は浄土系と日蓮関連宗派とそれ以外の三者に大別できることだ。八百万の神々を許容する日本人は、神様も仏様も同等に扱われてきた。これは仏教信仰でも同様で、真言宗でも天台宗でも浄土宗でも、あるいは日蓮宗の寺院でも梯子してお参りすること少なくないし、拒否感を感じない。仏教伝来の経路を遡っても、あるいは史跡を訪れても、この宗教性の理解には貢献しないことに気がついた。日本の仏教は深く日本人の日常に根を張り、出生から死滅まで、人生のすべての事象にその影響を与えている。それでも日本仏教には大別して三つの大きな流れ、あるいはふたつの大流とその他があることに気がついたのである。
この日蓮宗系と浄土真宗系を除く諸派仏教は、天台宗、真言密教、禅宗をふくめ、由来や教義、根本経典の有無や種類はともかくとしても、日本における広義の大乗仏教の属する宗派である。浄土宗系と日蓮系は(禅宗系である黄檗宗を含めても)これらと異なる鎌倉以降に日本で固有に発展・普及した大衆仏教であり、民衆のための仏教として時代を越えて生き残り発展を遂げてきた。今ある日本仏教はこの三系統に分けられると考えると理解しやすいのだ(江戸時代に招聘された禅宗の黄檗宗についてはここでは考察しないこととする)。
阿弥陀仏による死後の救済を説く阿弥陀経を教義とする浄土教は、大般若経を宗旨とする他の大乗仏教とは別に発展した歴史を持つ。成書によれば、阿弥陀経は紀元一世紀頃の成立とされるが、すでに紀元前1世紀頃にはその原型が生まれたとされる。伝法大使・最澄が目指した日本の総合仏教教学である日本天台宗にも浄土思想は含まれているが、ひたすら念仏を唱える信仰形態はそのなかでも特異な存在であった。信奉者たちは本院とは他所の「別所」で信仰を深めたとされる。今も日本各地にのこる「別所」の地名は、本流のひたすら精進と修行による成仏を目指す大乗仏教とは異なる、異端的な信仰集団の存在を暗に示す象徴的な呼称だったことを想起させる。
最澄は様々な形式や異質な教義と共に日本に伝来した「伝来仏教」をひとつの大きな体系へ集約しようと努力したのに違いない。すべてが仏教であり、顕教も密教、浄土経典も法華経も互いに違う切り口で仏教を展開していているだけで、方便や理解の仕方やそれに沿った教義の展開はあっても根本となる仏教本来の目指す到達点は同一であると考えたのであろう。
浄土系、とくに浄土真宗はその根拠となる根本教義を阿弥陀経、無量寿経、観無量寿経(いわゆる浄土三部経)とし、念仏を唱えることによって阿弥陀仏に帰依し、死後の往生を遂げるとする絶対他力の信仰である。俗人には難解な悪人正機説はその象徴だ。謂わば、キリスト教のような一神教の信仰に近い宗教である。信心への理解が容易で、親鸞が示した世俗を否定しない極めて寛容な宗派ともいえる。
一方、日蓮宗系の起源は日本天台宗で修行した日蓮を開祖とする。日蓮は修行の末、法華経を根本経典として独自の宗派を開き、法華経以外の他のすべての仏典は方便に過ぎないと断ずる。根本的に他の宗派に対して排他的であるとともに、偶像崇拝を嫌い、題目を唱えることで即身成仏がもたらされ、さらに個人の救済ばかりではなく、国家に平和と安寧をもたらすとする政治的な側面をもつ教義は他の日本仏教宗派とは一線を画する位置にある。教義を含む根本経典そのものが信仰の対象であることが他の日本仏教宗派と大きく異なる。謂わば、イスラム教のコーラン信仰に類似する、好戦的な信仰形態なのである。
日本大乗仏教諸宗派で最も親しまれ、かつ大衆的で、仏典の中で最も短い経典は般若心経である。浄土真宗と日蓮宗では、他の宗派では一般的に読経される般若心経を唱えない特徴も両者では共通している。それがこの宗派のアイデンティティ(独自性)としての主張なのかもしれない。なぜこの二つの宗派が現代の日本で発展し、今日の隆盛を維持しているのかにはさらに考察が必要だろう。ある意味で、このふたつの宗派が日本で独自に誕生し、現代日本仏教を象徴する仏教の信仰形態なのだろう。

個人的に抱く日本大乗仏教に対するイメージは遥か天空の異次元世界や極楽浄土が最終到達点ではないように思える。無と空、有限と無限、不思議と不可思議が混在する混沌の時間を彷徨う自らの存在を深く認識する思索へと導く方便のように感じるのが自分の日本独自の仏教へのイメージだ。
日本仏教については、思考を完結したいがなかなかうまくまとめることができない。さらに思考を深めるためには法華経や浄土三部経そのものへのアプローチが必要なのかもしれない。まだまだ勉強が足りないのだ。とりあえず完結することはできないが、この稿はいったん終えることとしたい。さらに学習していつか続きを書きたい。