快晴の空の下で

日々、ぼーっと過ごしていると自他ともに認めるような暮しぶりのなか
原発の事故の真相が日に日に明らかになり
きっと最初から想定されていた最悪のシナリオにはあったように事態が進み、
被災地や避難勧告の地域の人達のことが
ニュースで流れるたびに涙がでてくる。
年をとって涙もろくなっただけではないだろう、
生きることとその終わりに大きな決まりを感じるからだろうか。
運不運は結果論だが、
運命の分かれ道があるのは確かだ。
昨日とまったく違わないように思えるいい天気の空の下で
立ち止まって考える。