河津桜を見て熱海に泊まる

ようやく連休が取れたし、この土日はいい天気になったので、
JRに乗って河津桜の花見と熱海の温泉に泊まりに出かけた。
観光客はそこそこ多かったが、河津の桜はもう盛りを過ぎた感じで、
そのためか以前に来た時に比べてお土産の出店が少ない印象だった。
桜に木にはメジロが群れをなして来ており、盛んに花の蜜を吸っていた。

ぶらぶら歩いて路端の店先でさんまと金目鯛の押し寿司を買い、昼食は駅前のベンチに座ってビールを飲みながら食べた。
暖かい、気持ちのいい昼の風が吹いて、時々花びらが飛んで来くる。ここはもう春そのもの。
この後、またJRに乗って熱海駅の一つ手前の来宮(きのみや)駅に戻り、来宮神社の大楠木と熱海梅園を見物した。
来宮神社は太古のむかし、大国主命が出雲から船でこの地に渡り関東を開いた最初の場所との謂れがあるそうだ。

神社の大楠の木は日本で2番目に太い楠で(1番は鹿児島に生えている)、周囲を一周すると寿命が1年伸びる効果がある(そうだ)。
あまり長生きしても困るので、一周だけしてお参りは終了し、梅園に歩いて行った。
梅園は熱海に泊まる観光客は入園料が百円で、一般より百円安くなっている。
入ってみるとすでにほとんどの梅の木は花が終わっており、枝だけになっていた。
これで入園料を取るのはちょっとどうかと思う(ただでもきっと入らなかったな)。

そのあと急な坂道を歩いて下り宿に向かった。坪内逍遥の旧別荘の前を通り、狭い道を下って行く。
昔は海が見えて、格好の別荘地だったのだろうが、今では家やビルが立て込んで景色はない。
直前に電話予約した熱海後楽園ホテルは西に歩いて行った熱海海岸の端にあった。
すでに50年の歴史があるホテルで、東京ドームを経営する会社によって運営されている。

高層と低層の建物があり、泊まった部屋は低層の4階で東と北側が大きな窓になっていて、海の向こうの水平線や熱海の夜景が綺麗に見えた。
なかなかいい部屋だった。
温泉は無色透明、やや塩気があり、刺激性があって湯上りによく流さないと皮膚がピリピリする。
刺激は循環式なので添加する塩素のせいかもしれない。
食事は2食ともビュッフェにした。

老夫婦二人で部屋食だと、自宅の食事と同じになってしまうからだ。
食べ物の種類は多かったが、夕食ではホウボウの天ぷらと解凍蟹の足、刺身はブダイがうまかった(あとは値段の割にはまあまあだった)。

(部屋から広大な海と日の出を眺める)

朝、駿河湾に綺麗な朝日が昇った。久しぶりに見る日の出だ。
水平線に雲がなければ、ひしゃげた太陽が見られたのかもしれないが、少し雲があって水面から少し上に顔を出した。
二日目の日曜日は、伊豆山神社とMOA美術館を訪ねた。
伊豆山神社伊豆半島の名前の由来になった神社で、あまり知られていないが、源頼朝ゆかりの神社だ。
神社は長い階段の上にある。

たまたま行きあった地元の古老が神社の総代がアホなので、しっかり伝統や謂れが守れないと愚痴を言っていた。
熱海は山の斜面に広がった町だ。海岸から一気に山になっている。
神社も美術館も山の上にあり、徒歩で行くと急な坂道を登り続けなければならない。
汗びっしょりになりようやく第2の目的地のMOA美術館に着いた。
お目当は、尾形光琳の紅白梅屏風だ。
江戸時代中期、光琳に代表される琳派がモダンな画風を展開した。屏風はその代表作だ。
それほど大きな屏風ではなかったが、一見の価値があった。
この美術館は小間物商の岡田茂吉なる人物の集めた収集品が展示してある。

(ヘンリー・ムア作、王と王妃の彫塑像)
帰りに降りてきた入り口に続く長いエントランスのエレベータはなんとなく宗教がかっている。
それに美術館の周りは世界救世教の建物が取り巻いていた。さて、この宗教も岡田茂吉に関係がありそうだ。
この人物については、いずれ研究してみたい。
美術館を出た後、また熱海駅まで長い坂道を下って行くと、途中の美術館(か宗教団体)の梅林には紅白の梅の花が綺麗に咲いていた(もちろん、これはただだった)。
昼になって、駅前の商店街で蕎麦を食べお土産を買って帰ってきた。
坂道の登り下りがいい運動になった温泉旅行だった。