西インドにカレーと名の付く料理はなかった

インド料理が大好きなので、外食もするし、自分でもよくスパイスカレーとかバターチキンカレーとかを作りる。インド旅行はとっても楽しみだ。

デリー空港から乗り継いで辿り着い西インドの第一印象は喧騒と放埒だった。けたたましくクラクションを鳴らしながら走る車にオートバイ、それを気にもせず走り回る野良犬とのそりのそりと歩く牛、さらにゴミの散乱。囲いのある新興の端正な住宅地には入らなかったが、大都会のアーメダバードの大通りや旧市街の観光地を除き、小さな町の繁華街や下町、商店街の路地には犬と牛とゴミが溢れていた。まさに混沌と混乱と無秩序が同居している状態だった。ごみを塀越しに道路に捨てる光景も珍しくなかった。あちこちの窪みや床下はごみ溜め状態で、そのごみの中に牛が頭を突っ込んで餌を捜している。露店の店先や屋台のまわりは箒で掃除をしているが、視線をずらすとあたりはごみだらけであった。

いろいろな角の形の牛がいる

ホテルのすぐ前の道、どこにでも犬と牛がいる

牛が露店の野菜を盗んで食べている

飛行機の機内食を含めて、西インド・グジャラート州10日間の旅では、朝早く出発した際の2回の朝食が弁当であった以外はずっとカレー味の料理を食べ続けた。とても辛いもの、甘味のあるもの、味はいろいろだったが、スープ以外の料理はすべてと言ってよいほどチリパウダーで味付けがしてあり、辛味があった。

インド国民の大多数を占めるヒンドゥー教徒は殺傷をせず、食事は菜食が基本だ。肉や魚を避けるためだろう、そのためバイキング料理ではすべての料理の前に料理名か素材が表示してあった。ウエイターが直接皿に盛ってくれる料理もかならず料理名を告げてから皿に入れてくれた。読めない名前や意味のわからないの料理が多かったが、なかにはカリフラワー・マラサとか、素材のあとにマサラ(masala)と書いてある料理がしばしば見受けられた。おそらく旅行中に合計で数十種類以上の料理を食べたと思うが、ホテルやレストランの料理名に○○カレーという料理には一度もお目にかからなかった。インド、少なくとも西インドにはカレーと名の付く料理はないのであった。

masalaはいろいろなスパイスを混ぜた調味料やそれを使った料理を指すようだ。帰国して調べてみると、「カレー」の語源は、かつてインドを植民地化したイギリス人が、いろいろなスパイスをミックスした香辛料を「カレー粉」としてヨーロッパに広めたことが始まりのようだ。カレー(Curry)という呼称はインドのタミール語でソースを意味するカリ(Kari)に由来するという説やヒンズー語の「香り高いもの」や「美味しいもの」を意味する「ターカリー(Turcarri)」から「タリー(Turri)」に転じて英名になったという説があるらしい(全日本カレー工業協同組合HPより)。

食べたカレー料理の一部

このスパイシーな郷土の料理を、酒を飲まずに濃厚なチャイ(ミルクティー)を片手に、目的を達成すべく、一生懸命、一心不乱に、毎食まさにたらふく食べ続けた。なかなか味は複雑だ。ホテルやレストランによっても微妙に味が違うので、いくらでも食べられる。しかし、である。予想通りというか、当然というか、案の定、旅行2日目からみぞおちのあたりが熱くなり、胃薬と消化薬を飲みながらも食べ続けたところ、とうとう旅行4日目には胃が刺すように痛くなってしまった。新年早々、ダウン状態。「カレー負け」して、1月1日の午後には胃痛がひどくて夕食は抜きになってしまった。これで西インドカレー飽食旅行はあっけなく幕引きとなった。その後は生野菜を中心に食べ、スパイス料理は食べ過ぎないように量を控えめにして、なんとか帰国まで大事に至らずに過ごすことができた。過ぎたるは及ばざるが如し、の例えを身をもって体現してしまったカレー修行であった。

ちなみに、帰国して最初に成田空港で食べた昼食はカレー南蛮鶏肉蕎麦だった。やっぱり日本のカレーは美味い。なんと言っても、日本のカレーが世界で一番美味いことを改めて実感した。これだけは自信を持って話せるが、カレー料理は日本が最高だね。