今日は雛祭り。
娘のいない我が家ではこの華やかな祭りを祝う習慣がない。
妻の雛人形は、もう誰も住んでいない実家の押し入れの奥に仕舞われたままで、
闇を見つめて、いつの日か光が当たる機会を待っているのだろう。
先日、三男の結婚式でお世話を頂いた鎌倉の施設の廊下には雛人形が飾ってあった。
いつの時代のものか聞く機会を逃してしまったので、詳細が不明だが
でも手の込んだ意匠は現代風だった。
雛祭りは桃の節句。新たに迎える花の季節を祝う。
華やかな春を迎えて命の再生を歓び祝うことが、きっとこの祭りの起源だろう。
「女の祭り」として長い年月を続いてきたことにはもっと深い理由があるのかもしれない。
ジェンダーという言葉の意味が曖昧になりつつある今この頃、この祭りの起源を考えることは意味があることかもしれない。
雛人形に睨まれたからではないけれど、晴れの天気予報になった昨日は明るい春との遭遇を求めて伊豆半島一周の旅に出かけた。
朝7時前に家を出て真鶴半島の眩しい海辺の道を走り、熱海を経て昼前に河津に着いた。
河津桜はすでに葉が茂って少し盛りを過ぎた感じだった。
沢山の観光客が川沿いの桜並木を歩いている。
土手に沿って、ところ狭しとお土産や軽食の屋台が並ぶ。
はじめてここに来た頃はこの地方で手作りが盛んな雛のつるし飾りがどの店先に飾られて桜祭りに彩りを添えていたけれど、今回はすっかり影を潜めてしまい、辺りはまるで食べ歩きが名物の観光地のようになっていた。
視線を地上に下ろすと菜の花やたんぽぽ、大根草の花がにぎやかだった。
土筆もしっかりと自己主張して快晴の青空に向けて頭を伸ばしていた。
喧騒をあとに下田から南伊豆を経て西伊豆の松崎に向かう。
半島先端の下田を過ぎて南伊豆町に入ると突然、一面に咲く菜の花畑に出くわした。
照り返す黄金色の光がまぶしい驚きの光景が広がっていた。
当たりには菜の花のにおいが満ちている。蒼くて苦いようなにおい。
車を停めて町を歩いた。
静かな南伊豆町の早咲き桜は河津を凌ぐ。
桜のトンネルやそばを流れる青野川が美しい。あちこちで下賀茂温泉の源泉から湯けむりが上がる。
暖かい日差しの中を風に乗って桜の花びらが舞う。のどかな春が真っ盛り。
薄桃色の花の道で桜の香りを満喫し、西伊豆の松崎町の海に面したホテルに向かった。
ホテルにはいると西の海にはそろそろ日が傾いてきている。
日の入り直前には雲が広がって海に沈む夕日を見ることはできなかった。
日が暮れると漆黒の海。ぽつんと灯台の赤い光が見えた。
打ち寄せる波の音を聴きながら春の夜の夢に陥ちた。夜半から雨になった。
松崎にはおよそ三十年前、家族とともに泊まりに来たことがある。
今回泊まった海辺の白亜のホテルはその頃、松崎プリンスホテルという名前の高級ホテルだった。いまでは庶民向けの安価なホテルチェーンの傘下に入っている(伊東園ホテルグループ)。
次に来るときはあの波打ち際の白い高層ホテルに泊まりたいと思ったことを覚えている。時は流れて、図らずも三十数年後にその思いが実現したことになった。
静かに夜が明けて、雨に濡れながら、朝の散歩は人気(ひとけ)のない海辺を少しだけ歩いた。
春とはいえ雨はまだ冷たかった。
静かな田舎町の港のそばを歩くと、見覚えのある小さな建物が目に入った。
豊崎ホテル。
町角にこじんまりとたたずむ、以前に泊まった宿だ。思いがけず昔の自分に出会ったようでうれしくなる。
最上階が展望風呂だったことを覚えている。当時は外装が白かった。向かいの漁師小屋を模した居酒屋も健在だった。
まだ息子たちが幼かったひと昔に一気にタイムスリップした気分だ。
松崎を後にして西伊豆の海岸線に沿って走り、ぐるりと伊豆半島を一周した。
雨の中を走る。
高低のある曲がりくねった道からは晴れていれば相模湾の絶景や富士山が見られたのだろうがまったく眺望はなかった。それでもちいさな港町や温泉地をつないで走るのが面白い。
道沿いのあちこちで特産のみかんを直売していた。たくさんの種類がある。デコポンやキヨミオレンジは知っているが、いままで見たこともない多彩な品種が籠に入っていた。
寿太郎という小ぶりのみかんをはじめ目新しいみかんをお土産にたくさん買い、
沼津を抜け箱根峠を越えて、帰宅は午後2時だった。