伊万里焼の里と呼子のイカと朝市

台風19号に引きつづき21号がまたまた各地に豪雨災害をもたらした。とくに千葉県に住まいの方々には何と言っていいのか、慰めのことばしか思い浮かばない。過酷な状況ではあるけれど、ぜひ力を落とさずに頑張ってくださるよう、こころから祈りたい。地球温暖化の影響でここまで深刻な事態が起き、今後、これが毎年のことにならないようとにいまできることを少しずつでも始めないといけないとつくづく思う。

先週末は、福岡で会合(第20回JHHHネットワーク会議)があり、せっかくなので前泊して、雨のなか、佐賀県に足を延ばすことにした。

福岡と長崎にはさまれた佐賀県は関東に住む者にとっては縁の少ない場所である。それでも有名な伊万里焼や唐津焼の産地であるから、行ったことはなくても知らないものはいないだろう。

行くことが決まってから知ったことだが(家内が行きたいと宿をとった)、佐賀には日本三大朝市のひとつとして知る人ぞ知る、呼子(よぶこ)の町がある。玄界灘につながる入り組んだ複雑な入り江に面した閑静な漁業の町は、飛騨高山、能登輪島とならぶ国内指折りの朝市が開かれていることで有名だそうだ。

10月24日木曜日午前10時すぎ、福岡空港の目の前のオリックスレンタカーで黒塗りのホンダ・フィットを借り、西を目指して一般道を走った。初めに武雄温泉なる場所を目指して進むが渋滞で2時間半かかって武雄の手前、北方についた。今夜の目的地呼子は温泉街ではないので、立ち寄りの温泉にでも寄って汗を流してから旅館に向かおうかと思っていた。すでに昼過ぎになってしまったので昼食は軽めにうどんでも食べようと車を走らせた。いざ探すとなかなか見つからない。あきらめてガイドブックに載っていたちゃんぽんで有名らしい「井手ちゃんぽん」と書いた赤い看板が目に入ったので昼食はここで食べることにした。

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駐車場に車を停めると店先は長蛇の列。およそ30人は超すほどの賑わいだった。作業服姿の男たちやつかっけ履きの高齢者が多いのでほとんどが地元の住民のようだ。

待つ間に話を聞くとこの地も八月の豪雨で水害に遭い、この店も肩の高さまで水に浸かりつい数日前に復旧して開店したばかりだとそうだ。店先に祝いの花が飾ってあった理由やなじみの地元民が押し寄せている理由もそれを聞いて納得した。

店内ではカウンターのすぐ後ろで豪快に鍋をふるう女性がここの女あるじのようだった。もやしを一抱え鍋に投げ入れひと煮立ちしたとことろで次々とどんぶりに盛っている。おそらく、以前は炭鉱の町であったこの地のソウルフードなのだろう、山盛りの野菜が乗ったやや塩味がきつめのちゃんぽん麺を平らげ次々と客が回転してゆく。

思わぬ時間をとってしまったので温泉は諦め、今回どうしても立ち寄りたい伊万里焼(鍋島焼)の里、大川内山(おおかわちやま)に向かった。

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陶窯寛右エ門の包装紙に描かれている大川内山の風景)

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(写真中央左が老舗の陶窯 寛右エ門

伊万里焼きは16世紀末の朝鮮出兵によって朝鮮半島から難を逃れて渡来した朝鮮の陶工によって17世紀初頭に始まったとされる。伊万里津(津は港の意味)から輸出されたのでこの名がついた。このうち鍋島様式と呼ばれる白磁に青一色で絵柄が描かれた堅牢な磁器は鍋島藩の統制品として、作陶法などの秘密保持を目的にこの大川内山の地に見張り役の番所を設けて窯が作られ管理されたという。17世紀後半のことである。

創業1670年、「陶窯 寛右エ門(かんえもん)」で、青い絵皿を一枚買った。これが今回の唯一の買い物だった。

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伊万里焼の里をあとに、海沿いの道をすすみ呼子に向かった。途中で名護屋城跡への案内を示す看板が目に入った。

豊臣秀吉朝鮮出兵の前線基地として築いた名護屋城の史跡である。この地がその場所であることをまったく知らなかった。そもそも事前にガイドブックを見ていない。駐車場まで車を進めたが、雨なので広大な城跡を歩くのはあきらめ、もし明日の朝晴れていれば立ち寄ることにして通過。

呼子の町は名護屋城跡からすぐの小さな港町だった。泊まった宿屋「金丸」は目の前の道一本をへだててすぐ海に面する落ち着いた老舗旅館だった。案内された部屋の窓からは小雨のなか、岸壁に停泊する船や湾内を行き交う観光船が眺められた。

日が暮れる頃、雨が上がった。呼子大橋の向こうの空が少しだけ茜色になった。

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夕食には呼子の名物、イカの活き作りがでた。季節によってイカの種類は異なりこの時期はまだ小ぶりだがアオリイカが旬だと聞いた。透明な、まだ動いているイカは淡泊だがこりこりとして、しっかりとした歯ごたえだった。新鮮なゲソの天ぷらも美味だった。

少し前は目の前の湾内でもイカ漁ができたそうだが、いまでは玄界灘の先まで荒波を越えて船を乗り出さないと捕れなくなり、燃料代も高くなって採算がとれないという。乱獲のせいばかりではないようで、ここにも地球温暖化の影響が及んでいるのだろう。

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翌10月25日の朝は晴れた。風は強いが、ここちよい秋の風が吹いた。

朝市は午前7時から始まる。朝食に鯛茶漬けをたべて早々に見学に行くと、平日で時間が早いせいか、路上の出店はまばらでこじんまりとしていた。干物や海産物、くだものや野菜を売っている。道沿いの商店はすでにほとんどが開いていた。唐津焼を売る店舗もあった。道端で野菜や乾物を売る老婆の売り子に写真を撮らせてもらった。笑顔が可愛い、シャイで上品なおばあちゃんだった。

朝市を冷やかした後、昨日通過してしまった名護屋城跡まで引き返して城跡巡りをした。

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