にわか遍路旅の続き

香川県の旅の最終日は、帰りの便に夕方の飛行機を予約しておいた。
とくに予定はなかったので良い機会だからお遍路旅の続きをすることにした。
訪ねたのは一宮寺(83番札所)から番号順に、84番 屋島寺、85番 八栗寺、86番 志度寺、87番 長尾寺だ。
歩き遍路で苦労して自分の足で歩けば違うのだろうが、レンタカーでたくさんの寺を安直に巡ると、
帰ってきて一日しか経っていないのに、もうすでに何処を訪れたのかわからなくなっている。
そもそも信仰心のない観光目的のにわか遍路にとっては、御本尊は暗い本堂の奥に鎮座していて見えないし、
偉大な真言宗開祖の空海の足跡に触れ線香のにおいや読経の声に浸っても
さしあたり家内安全くらいしか願い事が思いつかないので、さっぱり敬虔な気持ちにならない。
それでも千年の歴史を繋ぐ古刹を支える柱にはこれまで訪ねた多くの人々の情念が染み込んで
寺全体が怪しげな気配を放っている。
朝一番の一宮寺は住宅地のはずれの田んぼの中にぽつんとあった。

境内は良く手入れが行き届いて綺麗な寺だった。
八十八か所巡りの寺かどうかでお寺の運営は全く違うだろうと俗人は生臭いことを思ってしまう。

屋島寺は源平の戦の義経が落とした弓を拾った屋島の古戦場や
那須与一が平家の扇を射落としたことで知られる史跡を見降ろす断崖絶壁の上にあり、
弘法大使を導いたというタヌキの大きな石像がユーモラスで、瀬戸内の海や高松の街が一望できる展望台だった。

八栗寺はケーブルカーで登った。その名の由来が面白い。
昔、弘法大師が大唐に渡る前に境内に植えた焼き栗が帰国すると芽を出していたので大師自らが旧称の八国寺からこの名前に改称したと伝えられているそうだ。


不思議があってこそ宗教と信仰がある。垂れ幕の二股大根や巾着は繁栄の印だそうだ。

志度寺五重塔がある立派な伽濫だったが、境内は草が茂り落ち葉が積って荒れ放題の廃寺の様だった。
朗々と御詠歌を唱える婦人の姿が印象に残った。
沢山の人が訪れているが、寺にも人にも紆余曲折のそれぞれの歴史や事情があるのだろう。

長尾寺は境内すべてが大きな駐車場になった殺風景な寺だったが、
本堂と太子堂の前で三人の親子連れのうち年若い娘が目を閉じて一心に般若心経を暗唱する姿が記憶に残った。
人ごとながら、祈りが通ずるとよいと思った。

同行二人、煩悩を捨てて辿る遍路旅はまだまだできそうにない。
仕事半分観光半分の、あちこち香川の旅だった。