アラスカ旅行_氷河クルーズ

アンカレッジ滞在二日目のツアープログラムは、氷河クルーズだった。
山中のホテル・アリエスカからバスで海辺に下りて海岸線とポーテージ湖畔を眺めたあと一時間ごとにしか車両は通行できないアラスカ鉄道の単線軌道のための狭いアントン・メモリアル・トンネルを抜け、かつての軍港ウィッティアまでおよそ一時間かけて移動した。
ここで遊覧船に乗り換え、プリンス・ウイリアム湾を周遊して船上から氷河を眺めるのがこの日のプランだ。
事前に下調べもせず、その日の日程も行ってからわかるようなずぼらな旅行者には団体旅行は有難い。
ウイッティアは氷河に削られた深い入り江で、いつも曇天に覆われているために上空から日本軍の戦闘機による偵察が難しいことを理由に、太平洋戦争時に潜水艦の秘密基地として作られた港だそうだ。


勝手な想像だが、Whittierという名前はいつも雲に覆われていることからつけられたものかもしれない。
現在は氷河見物の観光基地となり往時の軍港の面影は全くない。すでに廃墟となった昔の軍人とその家族のための宿舎の跡が遺跡のように佇んでいる。
いまの定住者のほとんどは色鮮やかなひと棟きりの高層住宅に住んでいて学校や病院もその向かいに付設されている。
アラスカ鉄道はアンカレッジを起点に北はフェアバンクス、南はスワードへの経路が本線で、このウイティアは支線としてアンカレッジとつながっている。
氷河によって作られたフィヨルドに囲まれるプリンス・ウイリアム湾は波静かで、のんびりとした船上観光は海上に吹く風と気持ちのよい振動が眠気を誘う5時間だった。
船上から26の氷河が眺められるので、湾内の観光クルーズは26氷河クルーズと呼ばれている。
氷河に面した入江のあちこちでラッコの群れやトドを間近に見ることができた。
ときどき陽が差して氷河が白銀に輝き、削り取られた岩や土砂が黒い筋となってアクセントとなっている。
深い青(グレイシャー・ブルーと呼ぶ)が心の奥に届く。







日本にも氷河があることが最近知られるようになった。北アルプス剣岳立山の頂上直下の三か所だ。これによって、カムチャツカ半島とされていた極東の氷河の南限は日本の富山県立山連峰となった。
地球上ではこれまで少なくとも四度の氷河期があった。
最終氷期(正式には氷期というらしい)は今からおよそ七万年から一万年前頃までで、現在は五度目の氷期との間の期間を差す間氷期にある。
太陽の黒点の活動や地軸の傾き、公転軌道のゆがみなど、いくつかの理由によって地球の気温が低下すると海から蒸発した水分が雨とならずに雪となり陸地に積もり、解けずに硬い氷の層となって氷河となる。氷河は自重と重力によって地面を削りながら低地へ移動する。
地上が氷河に覆われると、雨の減少で海水が減ってしまい、最終氷期には海面がいまより120メートルも低下して世界は陸続きとなっていた。
これによって現在のアラスカはベーリンジアと呼ばれる草地でユーラシア大陸と繋がっていた。
今は海となっているこの地をたどり温暖で生物資源の多いアメリカ大陸に、食料や獲物を求めて多くのモンゴロイドが渡来した。
今ですらアラスカ中央部の冬のフェアバンクスでは、時に気温が零下60度まで下がることがあるそうだから、氷河期のこの地は想像を絶する厳しい環境だったのだろう。


渡来人の彼らはその後、南北アメリカ大陸各地に離散したが、アラスカに定住した者たちの子孫がこの地の先住民たちだ。およそ今から一万二千年前のことだという。
日本の北海道にも先住民族がいる。アイヌ民族以外にも、道東や道北にはかつて先住民族の集落があった。
彼らがアラスカのアサバスカンやイヌイットと同一祖先の末裔かどうかはわからないが、日本とアラスカがそれほど異次元の世界に存在しているわけではないと思うと時空を超えて想像が広がって興味がつきない。
現代の人為的な地球温暖化の進行によって氷河が解け、移動する氷河先端の後退を嘆く声とは裏腹に、近い将来、地球は寒冷化し氷河期に入るという有力な説がある。
そこまでは生きていられないからこの目で確かめることができないのが残念だが、悠久の時を越えて、自分の子孫達が発達した科学とともに氷河期を生き抜く姿を想像するのも面白い。
青い氷河を眺めながら「時間」について考えた。