めでたい日

中途半端な60代を終えて、今日はめでたい誕生日。とうとう本当の老人になった。さすが70代をまだまだ若いとは言い難い。

誕生日祝いに、小さなケーキを買ってもらい、老夫婦ふたりのささやかな古希の祝いだった。

年をとってもうれしいことがたくさんある。

まず、しっかり老人になったので席を譲ってもらっても抵抗感がない。後ろめたさがないのがいい。

次に、敬老パス(シルバーパス)だ。これで一年間はバスは乗り放題。地下鉄も埋め立て地を走るモノレールも自由気ままに好きなだけ乗れる。ついでにJRや私鉄も乗り放題だといいのだが、残念ながらこれはない。きっと、知らない土地への徘徊や行方知れずの予防策かもしれない。ありがたい深慮だろうと思っている。

物忘れも年のせいだからと許してもらえるのもいい。

あとは・・・・、ちょっと思いつかないが、それでも古希の祝いはあったほうがいいなあ。f:id:darumammz:20201117041715j:image

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こわいもの知らずの病理学講義(仲野徹著、晶文社、2017年)

最近、面白い本をみつけた。

「こわいもの知らずの病理学」(仲野徹著、晶文社、2017)。大阪大学の病理学の教授が書いた本だ。蘊蓄と学問が並列に書いてあって面白い。基礎科学の学者は博学なひとが多いが、この本も命の不思議について書いてある。表紙に巻いてある帯には「本邦初の笑って読める病理学の教科書」「ボケとツッコミで学ぶ病気のしくみ」とあるが、まじめだが肩のこらない好著だ。

後期高齢者と呼ばれるには、まだ少し時間がある。この後期という表現は、よくないね。人生百年時代と盛んにいわれる時代になったのに、もう後がないといっているような表現だからだ。後期のあとは「残期(ざんき)」だろうか。まったく「慚愧に堪えない」よ。

それはさておき、とりあえず、めでたい、めでたい。