高野山参り

勤労感謝の祝日を数日後に控えて、古希になったのを機会に高野山にお参りに出かけた。

真言密教の聖地高野山大阪難波から南海電車に乗り極楽橋でケーブルカーに乗り継いで山の上に登る。高野山駅からは南海林間バスに乗り換えて行く。新大阪駅からは二時間あまりの旅だった。

高野山は山の中の静かな町だった。

僧院が軒を連ね、平日の町並みは人影もまばらだった。

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大門

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町の全景地図

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大門に続く町並み

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沿道の僧院

初日は大門、中門、壇上伽藍の外観だけを見て回り、二日目に空海が眠る奥之院で健康長寿を祈願した。

真言宗は仏教の秘密の教えを教義とする。宗教には言葉にならない神秘が満ちていなければならない。行くまでは不思議と奇跡に満ちたおどろおどろしい町を想像していたが、先入観とは異なり世界遺産高野山は端正な明るい町だった。

泊まった宿坊、赤松院(せきしょういん)は十一面観音を主仏に祀る由緒あるお寺で、戦国時代に滅びた赤松家ゆかりの寺だそうだ。播磨家、黒田家、有田家が末裔だという。本堂には遠縁にあたる細川ガラシャの位牌も開帳していた。

毎朝7時から勤行と護摩焚きがある。観光客も一緒に般若心経を唱えて朝のお勤めが終わる。お勤めに続く高齢の住職の説話では人それぞれには生まれた干支によって守護仏が決まっていて、今年古希を迎える寅年生まれは虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)が守り本尊だという。

朝夕二食とも精進料理で、これだけを食べていれば間違いなく健康になれそうだ。まさに医食同源だ。

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宿泊させてもらった宿坊、赤松院山門

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一日目の夕食。

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二日目の朝食

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食事を摂った大広間

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連泊二日目の夕食(豪華

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三日目の朝食

この宿坊に二泊した。着いた日の午後は散策中にまるで東南アジアのスコールのような凄まじい雨があり、道端の僧院の山門で傘をさしての雨宿りでもずぶ濡れになるほどの雨脚だった。浄めの雨にすっかり濡れてしまい、風も冷たく、寒さに堪えて、お参りはそこそこに切り上げ宿に戻った。気温は5℃だった。

二日目は晴天に恵まれた。晩秋の空が碧く澄みわたり小春日和の温かい日だった。真言宗の中心施設である金堂はあいにくと僧院の行事で見学できなかった。西塔と東塔を左右の脇侍として建つ根本大塔は真新しいコンクリートの建造物で、内部は屹立する太い柱に多聞天持国天などの密教を守護する神々が描かれ、燦然と輝く大日如来坐像とそれを取り巻く四体の金色の大仏が眼光鋭く鎮座する立体曼荼羅の様相だった。境内は整然として採光豊かに明るく、京都東寺のような神秘的な印象はなかった。空海自身が創意した空間と弟子たちが遺志を引き継いで生み出した空間の違いだろう。あるいは再建に再建を重ねた時間の重みの違いかもしれない。

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参拝できなかった金堂

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金剛峯寺前庭

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二匹の竜が遊ぶ石庭

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根本大塔

空海の眠る奥之院の参拝は町を貫く一本道に面した一の橋を渡り、樹齢百年以上に及ぶ杉の巨木の林のなかにつづく石畳の参道を歩いてゆく。参道の両脇には大きな石塔がところ狭しとならぶ。中世から近世におよぶ歴史を彩る武将や大名家の慰霊塔が連なり、そのなかには明智光秀の苔むした慰霊塔もあった。現代では俳優の鶴田浩二や歌舞伎役者、財界の有名人などの石塔があった。連休前の土曜日で観光客や遍路の人々がお参りに来ていたが、それほどの混雑はなかった。朝6時と10時半に一日二回、霊廟に眠る空海への食事を運ぶ「生身供(しょうじんぐ)」と呼ばれる行事(儀式)がある。ちょうどその時間に居合わせて見学できた。

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奥之院参道

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所狭しと立ち並ぶ石塔群

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奥之院拝殿

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三鈷の松

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生身供

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精進料理店「花菱」の向付

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花菱の一の膳、奥がこんにゃくの刺身

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花菱の二の膳

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山桃の食前酒とお麩の口直し


宿坊で朝夕4回いただいた精進料理だったが、専門の料理店でも食べてみたくて老舗(「花菱」)の暖簾もくぐってみた。刺身に見立てた白や赤のこんにゃくに、肉にように見える大豆の揚げ物が面白かった。味付けは、しっかりとして結構濃い目の印象だった。

国宝の仏像や重要文化財の経典・巻き絵を展示する霊宝館や金剛峯寺も見学した。

真言宗総本山金剛峯寺は宗教施設というよりも美しい寝殿という感じだった。色鮮やかな襖絵の続く館内では日本画家、千住博の手による断崖や滝の襖絵も公開していた。彩色を抑えた白と黒とのコントラストで描かれた水墨の山景や落瀑は静寂と轟音が身近に迫るような迫力の力作だった。白砂に泳ぐ二匹の龍をかたどった枯山水の庭も見事だったが、この寺の開祖とも言える僧侶、真然大徳の拝殿は非公開で、観光できた施設の範囲はお寺のイメージとはかけ離れた印象だった。

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高野山の象徴の壇上伽藍

高野山は透明感に満ちた山上の聖地だった。あるいは空海が目指した密教の本質は澄み切ったこの町の大気のようなものなのかもしれないと感じた。永遠に眠るお大師様の息吹が今もこの町を流れているからだろうか。

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法善寺横丁

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西向不動明王(法善寺)

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戎橋で記念撮影

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串の坊本店

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あこがれの日本最古のおでん屋「たこ梅」

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たこ梅のおでん鍋

山を下り、来た時の経路を逆にたどり大阪の街にもどって、もう一泊して帰ってきた。

大阪では若者のあふれる道頓堀に行ってみた。大阪は元気だ。有名なグリコの看板に面した戎橋で記念写真を撮り、お昼は法善寺横丁近くの串の坊本店で串揚げを食べた。夜は一度訪ねてみたかった日本で一番古いおでん(関東煮)の居酒屋「たこ梅」に入ることが出来た。名物の蛸の甘露煮と鯨のさえずりを賞味した。この店は田辺聖子さんが川柳家岸本水府と明治・大正・昭和の三時代の移り変わりを書いた長編小説「道頓堀の雨に別れて以来なり」で知った。想像していたのとは違って小さな店だった。