別れのとき

もうだいぶ前からこの日がくることは覚悟していた。

時代の流れの中で、抗えるものとそうでないものがある。

現実に別れの日が来てみるとそこはかとない寂しさを感じる。

世の中の趨勢に逆らって、傍目には肩ひじを張り意地になってこだわって見えたに違いない。

旧い人間だと思われても、これで困ることなど何もなかった。

意固地な老いのこだわりと片付けることは難しい。

19年の長い年月にわたり陰になり日なたとなってずっと支えてくれた存在と

初めて出会ったとときの驚きはいまでも忘れない。

手に取れば握りこぶしの中にすっぽり隠れてしまうような小さな質量だが、

昼と言わず夜と言わず、

手の届くところでじっと知らせを届けるために耐えていてくれた唯一無二の存在。

孫たちの出産のうれしい第一報をもたらしてくれたのもこれだった。

さらば、ガラ携。

思い出とともに静かに電源を切って引き出しにしまおう。

長い間ありがとうと言いたい。

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別れがあれば、出会いがある。

新たな遭遇はためらうことばかりだが、これからの何年かはいつもこいつを手にして暮らすことになる。

あとどれくらいの期間なのかはわからないけれど、外界との接点として大事にしないとならないのだろう。

とは言うものの、操作を覚えるのに四苦八苦の連続だ。

誤って午前3時に友人に電話をしてしまった。

スマホくん、お手柔らかにたのむよ!

別れのレクイエムと歓迎のマーチを聞くために

あわせてソニーのワイヤレススピーカーを購入した。

低音がきつすぎるので調整が必要だったけれど

日がな一日、バックグラウンドミュージックを流しながらの学習で、

気が付けば今日もまた日が暮れていた。