城崎にて

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兵庫県日本海側にある有名な温泉地、城崎を一度訪ねてみたいと思っていた。

なぜかと聞かれても、とり立てて明確な理由があるわけではないが、強いて言うなら中学生時代に読んだ志賀直哉私小説「城崎にて」がきっかけだろうと答えることになるのだろう。

城崎は関西の奥座敷。大阪や京都、神戸から直通列車に乗れば、いとも容易く訪ねことができる温泉町だ。関西人にとっては身近な保養地なのだろう。関東でいえば、熱海や鬼怒川というイメージだろうか。

志賀直哉が事故で大きな怪我をして、長逗留で療養した温泉地は、関東に住むものには名前は知っていても馴染みの薄い場所だ。それでもずっと意識の下にこの温泉町を訪ねてみたいという、あたかも潜在意識のように刷り込まれている願望はおそらく思春期特有の自我の目覚めの時季に命の儚さについて書かれたこの実話のような小説を読んだことが理由だろう。

城崎温泉を訪れたのは、ようやくコロナ禍が沈静化して迎えた年末。新たに出現したさらに感染力が強いとされる変異株オミクロン株侵入による伝染爆発が危惧される、嵐の前の静けさという時期だ。行き当たりばったりの旅だった。乗り放題の青春18きっぷを初めて購入し、愛用のカメラを背負い、例年にない大雪で鉄道ダイヤが大幅に乱れる兵庫県に足を踏み入れた。最初に目指したのが城崎だった。

神戸までは格安航空券で空路で入り、あとは各駅停車のJRを乗り継いで行く。宿の予約もなしに、風の向くまま運任せの気ままな旅だ。

城崎温泉はこれまで訪れたどの温泉町とも違った。町全体が時代を超えた風雅な佇まいに包まれている。柳の枝が風に靡き、川沿いには温泉宿が軒を連ねる。湯治客相手のみやげもの屋や射的屋、店先にこの季節の特産品である朱色の松葉蟹を賑やかに広げた魚屋などが連なる道筋も、どこか落ち着いた雰囲気に包まれていた。志賀直哉が逗留した旅館「三木屋」は端正な姿のまま、温泉町の主要な道に面して現存していた。

肌を切るような冷たい北風が吹く雪の温泉町には、浴衣にどてらを着て湯巡りに歩く宿泊客で年の瀬の華やぎが戻り、例年ほどではないのかもしれないが、若いカップルや親子連れの観光客で賑わっていた。随所にある立ち寄り湯は長蛇の列をなしていた。

運河のようにたおやかに町を流れる円山川にはたもとに灯りのともる石燈籠のある太鼓橋が架かり、向かいの通りと繋がっている。まるで時代劇のセットのような景色は、作り物のような安っぽい嘘くささがなく、まったく自然に大正や昭和の趣きを今に伝えている。

想像していたよりも遥かに趣きと落ち着きを見せるこの由緒ある温泉町に辿り着いて、ここが長年の懸案だった温泉町だと思うと静かな感動を覚えた。

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世の中の仕事納めより一日早く旅に出たからだろうか、観光案内書に載っていた老舗の宿に電話をかけるとあっけなく予約が取れた。町中の随所にある湯巡りの浴場を体験するには一泊では難しい。できれば二泊したいと思った。残念ながら二連泊の予約は取れなかったけれど、落ち着いた宿を確保できた。

泊めてもらった旅館は「古まん」、部屋に案内してくれた同年輩の仲居さんの話では日本で二番目に古い旅館だという(ちなみに一番の老舗は西暦705年に開かれた山梨県西山温泉の慶雲館だそうだ)。ここ「古まん」は西暦717年の創業だという。部屋には武者小路実篤の直筆のカボチャを描いた文人画が飾ってあった。せっかくなので冬の名物、蟹づくしの夕食を食べた。堪能してもうしばらくは蟹を食べなくてもいい気分になった。美味いものは少しだけ食べるのがいいのだろう。

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このブログは山陰本線の各駅停車の列車の中で車窓に映る雪景色を眺めながら書いた。のんびり旅の醍醐味だろう。急いでも急がなくて行き着くところに代わりはないのだからと思う。