山陽本線青春の旅-旅の終わり

山陽本線福岡県北九州市門司駅から兵庫県の神戸駅までを瀬戸内海に沿って結ぶJR鉄道路線ある。今回は青春十八きっぷを使い、門司ではなく小倉駅始発の列車に乗って旅を始めた。

人生には始まりがあり終わりがある。命の誕生は必ず死滅で終結する。旅にも始まりがあり、終わりがある。人生と旅の違いは帰るべきところがあることだと思う。死滅は消滅であり帰着ではない。終着駅のない道行は旅とは呼ばず、彷徨というに違いない。だから人生は彷徨だろう。でも人生と違い、旅は終われば必ず旅を始める前の出発した場所に戻らなければならないのが掟だ。そこが旅と人生の違いだろう。

旅の終わりの終着駅に神戸は選ばなかった。今回の旅は古都、京都を終着駅とした。なんとなく神戸よりも神仏の集まる京都の方が旅の終わりにふさわしいような気がしたからだ。

おそらくもう来ることはないだろう尾道を後にしたのは始発の早朝5時12分の列車だった。赤穂浪士の里を眺めてみたかったので、寄り道して岡山駅赤穂線に乗り換え、播州赤穂の町を車窓から眺めた。暖かい明るい日だったこともあったからか、赤穂の町は風光明媚な田舎の風景の印象だった。網干(あぼし)で乗り継いで京都に着いたのは令和4年12月30日午前11時14分だった。この年末は、いつも泊まる駅前の松本旅館に三連泊して、令和5年を迎える予定だ。

荷物を預け年末の八坂神社に向かった。新年を迎える準備を終えた境内は御礼参りの参拝者でいっぱいだった。古い破魔矢を手にするのは地元の住民だろう。

日本人あるいは日本の古き伝統とも深く関係するこの国の信仰は複雑だ。八百万の神々がそれこそどこにでもおわします。

八坂神社は、四条通りの突き当たりに鎮座する。日本三大祭りのひとつである祇園祭はこの八坂神社の祭礼だ。「祇園」は京都を代表する花街として知られるが、もともとは北インドの仏跡「祇園精舎」に由来する。仏教の開祖である釈迦が説法を行ったとされる場所だ。明治維新神仏分離令によって明治元年に八坂神社と改称するまで、この由緒ある神社は「祇園社」「祇園天神」「祇園感神院」「祇園牛頭(ごず)天王」と呼ばれていたという。

主祭神はスサノヲノミコト(素鳴尊)であるが、この聖域の起源については諸説ある。一つには平安時代の僧・円如(えんにょ)が祇園精舎を守護する牛頭天王を勧請(かんじょう)して感神院を建てたのが始まりとする説。また、修行僧が祇園天神堂を建てたのが最初であるという説もあるらしい。また、前身はこの地の古い鎮守神で、高句麗(こうくり)系の渡来人である八坂氏の氏神とも言われ、社伝には新羅(しらぎ)の牛頭山から神霊を迎えたとされている。いずれにしても地元に密着した「祇園さん」と親しみを込めて呼ばれ、神仏習合の祈りの対象として長く崇められてきた。

神や仏を問わず、疫病退治や家内安全 、旅の安全と健康長寿を八百万の神々に祈り感謝する神々への参拝は旅の終わりにはふさわしい場所だろうと思った。

参拝後町並みを歩くとどこももう新年の準備が終わり各家の玄関には松飾りを始め正月を祝う装束で飾られていた。いよいよ明日で寅年も終わると思うと少しだけ寂しさを感じた。六回目の年男として過ごした年の瀬の青春旅行はここで終わった。次の機会があるのかどうか、それこそ神様だけが知っていることだが、来年も健康に過ごすことができるならまた行き当たりばったりの旅をしたいと思う。