年末は別府の鉄輪(かんなわ)温泉に湯治に行った。
朝夕温泉に浸かり、のんびり年越しもここで過ごすことにした。
別府は思っていたよりずっと寒い。
泊まった温泉のあたりは山からの吹き下ろしの風が強い。
(昭和レトロの鉄輪温泉中野屋)
左端から二番目の部屋に四泊五日した。
まさに昭和の貸間暮らし。
食事は中庭の地獄釜で自炊の湯治生活だ。
(地獄蒸の釜)
生玉子は8分で固茹で、6分で半熟に茹でられる。
連日、野菜を蒸して食べた。
半地下に浴室があり、名物の蒸し湯があった。
石棺のような蒸し湯には石菖という薬草が敷いてある。
狭くて圧迫感があるが横になっていると体の芯まで暖かくなった。
渋いがなかなかいい温泉だ。
宿は温泉街のほぼ真中にあり、向かいが町の中心施設の蒸し湯だった。
街中にはあちこちに外湯があるので手始めにすぐ近くの渋の湯にだけ入ったみた。
湯量は豊富で泉質はわずかに塩気があり、外湯も宿の温泉と泉質が同じように感じた。
外湯めぐりをしなくても宿の温泉で十分だ。
貸間旅館の古風な畳の部屋に座ると、今はない実家の襖で囲まれた二階の六畳間を思い出す。
昭和のずっと初期に戻った気分で、湯上りのビールが絶品だった。
日中はレンタカーを走らせて国東半島巡りを楽しんだ。
(往時を偲んで天守閣を模して再建された資料館)
室町時代の城跡、杵築(きつき)城には初日に大分空港から直接行った。
二日目は有名な湯布院を訪ねた。
湯布院は峠を越えた山の向こう側にある。
地面が凍結して普通タイヤではヒヤヒヤの運転だった。
峠が由布岳の登山口になっている。
行った日の夕方から小雪がちらつき、翌朝には由布岳の頂上は白くなっていた。
草原のなかに聳えていて気持ちのよさそうな山だ。
身を切るような寒風が吹き、今回は装備がないので登れなかった。
一面の黄金色の草原の中の山道を下ると湯布院温泉に辿りついた。
湯布院の観光名所、金鱗湖は湯気が立っている。
すぐ湖畔に混浴の外湯の小屋があった。入りたかったが湯冷めしそうなのでやめた。
温泉街は意外とつまらない。由布院駅前から欧風の土産屋が軒を連ねる新興の観光地だ。
湯布院は亀の井別荘や玉の湯などの高級旅館に泊まってこその温泉地のようだ。
3日目は宇佐観光とお寺巡り。
宇佐神宮(八幡宮)は全国八幡神社の総帥だ。
豊後高田の昭和の街は寂しい町だった。
もらったパンフレットに書いてある順に国宝のお堂がある富貴寺、真木大堂、熊野磨崖仏を巡った。
国宝の富貴寺の御堂には阿弥陀如来が鎮座するが撮影禁止で写真が撮れないのは残念だった。多くは剝落していまっているがお堂の壁面には三千の仏が描かれているそうだ。
次に訪ねた真木大堂は、平安時代に大寺院群のあった場所に残る本山本寺の跡だ。
約七百年前に火災で消失し、その後残された国宝の仏像が集められて陳列されている。
今では谷間の田圃のなかにポツンと収蔵庫が建っているだけだが、
立派な不動明王や四天王立像、水牛に乗った大威明王像は特に見ごたえがある。京都の東寺の仏像群に似ているような気がした。
ここも撮影禁止なのが残念だった。
真木大堂から少し走り、長い石段を登ると熊野磨崖仏がある。
(大日如来像)
(不動明王、ユーモラスな顔をしている)
それぞれにいわれがあるが勉強不足でよくわからない。
落ち着いたら調べてみようと思う。
かつて都を遠く離れて荘厳な文化の花が開いた古跡を訪ねた、まさに観光旅行。
4日目は南下して臼杵を訪問した。
臼杵の石仏群も国宝に指定されている。ここにも遥か昔、大きな寺院の伽藍があったようだ。
キリシタン大名の大友宗麟が戦国時代に築いた臼杵(うすき)城を訪ねた後、佐賀関を廻って宿に帰った。
5日目の元日の朝も快晴、朝食は雑煮ではなく、地獄蒸したサツマイモを食べた。
元日の昼前にもう一度、杵築の武家屋敷跡を散策して昼過ぎの飛行機で帰ってきた。