麗江ぶらり旅〜(その2)麗江はワンダーランド

雲南省は地図で見ると小さく見えるが、面積はほぼ日本と同じで、麗江は大きな省都昆明や隣接する大理とともに雲南を代表する一大観光地だ。
地理的には昆明から北西600キロ、大理から北に200キロ離れた場所にある。
金沙江(揚子江上流)を挟んで、有名なシャングリラ(香格里拉)のあるデチェンチベット族自治省に向かい合っている。
訪ねてみると旧市街と新市街を合わせて百二十万人もの人口が住み、こじんまりした少数民族の住む辺境の地のイメージとは異なる発展途上の地方中核都市だった。
麗江は中国語でリジアンLijiangと読む。
観光の中心をなす麗江古城(旧市街)はまさに大きなワンダーランドで、中世の明代や清代の古い町並みを残し、あるいは再現したテーマパークのような観光地だった。

旧市街のほとんどの地元住民は新市街に移り住み、迷路のような石畳の道が続く古城の中は古い民家を使ってこの地方特産の中国茶プーアル茶)や銀細工、土産物を売る商店、ホテルやレストランなどの商業施設が軒を連ねている。


(朝の黒龍譚から望む玉龍雪山)



(市民の生活を支える井戸、三眼井)
古城のはずれには玉龍雪山の雪解け水に由来する伏流水が湧き出る黒龍譚と名のついた水源があり、ここから流れる清流が街を潤している。
あちこちに古い井戸もあり、いまでも住民の生活の支えとなっている。
南門と北門をつなぐ市街のほぼ中央に四方街と名のついた広場があり、周囲をホテルと土産物屋、レストランが取り囲む。かつてはここが住民の生活を支える露天市場だったそうだ。現在ではイベント広場になっていて民族衣装を着た地元民が中国風の音楽に乗ってダンスを踊っていた。


(北門街のランドマーク古城水車)

(四方街の東面)

先住民は少数民族のナシ族で、この街は今から八百年前(南宋末)に中央政権(元)から統治を任命されたナシ族の豪族、木氏(ムー、日本語読みでモクシ)が本拠地だった白沙から移住して造成した街だという。
四方街から南に数分歩いたところには木氏の故宮だった「木府(モクフ)」が往時の三分の一の規模で再現されていた。それでも地所は広く、忠義坊と名の付いた議事庁や政務のための建物は当時の木氏の強大な権力を忍ばせる。




街のあちこちからナシ族の聖地、玉龍雪山が眺められる。
氷河のあるこの山には現地3日目にロープウェイで登った(後述)。

(朝陽に照らされるナシ族の信仰の山、玉龍雪山)
古城内には古い遺跡の大石橋や長い年月でつるつるにすり減った石畳が続き、赤く塗られた住宅や商店の壁や柱、重なり合って美しい光景を生み出している瓦屋根の波は栄えていたこの街の往時を忍ばせる。たしかにふらふらと街を歩くと明代や清代にタイムスリップした感覚になる。耳を澄ませば荷物を運ぶ馬の蹄の音が聴こえるようにな気がした。

(旧市街最古の大石橋)
現代中国では新暦年末年始にはあらたまった行事はなく、企業や学校は12月30、31日、1月1日は三連休だけれど特別な祝い事はしないと現地ガイドさんが教えてくれた。中国人にとって正月と言えば、旧暦の春節をさすそうだ。とはいえ訪れた年末休みの旧市街は、夜明けすぐの朝の散策を除くと昼前から深夜まで観光客でごった返す賑わっいだった。しかし欧米人や日本人はほとんど見かけなかった。辺境だからか、あるいはあまり知られていなからだろうか。



古城旧市街の南部には野菜や生鮮食料品、日用雑貨を売る露店の生活市場である忠義市場があったが、それ以外の場所はに生活臭がなく、それこそ街全体が巨大なテーマパークそのものの感じがした。