山陽本線青春の旅➖その2

下野でフグを堪能して次は福山を目指す。

6時ちょうどの始発に乗り、車窓から瀬戸内海に登る朝日を眺め、ガラガラの普通列車に揺られてのんびりと過ごす。途中友人のKM氏の出身地である呉を眺めて見たくて広島で広(ひろ)行きの呉線に乗り換えた。広島は大都会、それまで見て来た瀬戸内の街とはまったくスケールが違う。今回はパスしたがもう一度訪ねてもきっと面白いだろう。

友人は海田市という町が出身地で、この辺りはかつての日本海軍の軍港の周辺都市として発展して来たのだろう。ずっと工場地帯が続き、田園が続く景色と想像していたのがまったく違った。三原、糸崎と乗り換えて山陽本線に戻った。

二日目は島に泊まる。福山には13時25分に着いた。福山駅で下車して5番乗り場でバスに乗り換え鞆の浦(とものうら)に向かった。目的地は鞆の浦の島だ。

鞆の浦平安時代から瀬戸内海の海上航路の要衝として栄えた町で、潮待ちの港として知られる景勝地だ。この観光地のことは、実は旅に出る前にはまったく知らなかったのだが、旅行好きにとっては有名な場所らしい。平安時代万葉歌人で大納言にまで出世した大友旅人の和歌や幕末の坂本龍馬にゆかりのある港町だという。お寺や神社とそれを繋ぐ狭く曲がりくねった石畳が続く古い町並みに歴史の重みを感じさせる文化遺産として残したい趣のある港町だった。

鞆の浦のシンボル、鞆港西側の雁木の南側に立つ常夜灯

港から目の前に広がる瀬戸内海上の島々のうち鞆港から渡船に5分ほど乗って目と鼻の先にある仙酔島に渡り一軒家の旅館に泊まった。渡船は鞆港沖で沈没した龍馬の船「いろは丸」を模した市営の渡し船だった。

旅館は景色は最高だが、畳が擦り切れ、壁も昭和の雰囲気そのままのレトロな佇まいで、洗面所のドアを開けると下水管の匂いが厳しい施設だった。旅館ではあるがサービスや食事の内容は民宿にも及ばない、老舗というにはちょっと躊躇するような和風の宿だった。呼び物は江戸風呂と銘打った洞窟を模した掘立て小屋の蒸し風呂で身体を温めたあとすぐ目の前の海に浸かるという入浴だが寒くてとても海に入れるような状況ではなかった。元気の良い若者には人気があるようだが、それでも海には膝までしか入れなかったと言っていた。

鞆の浦の夕景

鞆の浦の朝景

ちなみに夕食は鞆の浦名物の瀬戸内海の鯛と使った「鯛づくし」を注文したが、薄造りは乾燥しており、姿煮も兜煮も自分で調理した方がよほど旨いと思う味付けだった。まるで冗談のような夕食だった。なお朝食の粥は電源を入れ忘れたとかで冷たい赤米の粥だった。いったいいつ作っているのだろう。絶句した。これはこれで旅の思い出としては貴重だろうが、人には勧められない。