アリカンテからバレンシアへ_スペイン瞑想旅行

グラナダをあとにツアー・バスはバレンシア地方へ向かった。

バレンシアはスペインを代表する郷土料理であるパエリア(パエージャ)の本場として有名だ。あるいはバレンシア・オレンヂの名が日本では馴染みがある。このことについては後述したい。

スペインは十七の自治州と二つに自治都市で構成されている。それぞれの地域には長い歴史と独自の背景を持つ文化がある。旅はマドリッド州、カスティーリャ・ラ・マンチャ州アンダルシア州を辿り地中海に面したバレンシア州ヘと進む。これまでの延々と続く丘陵地帯から景色の奥に海が見えるようになってスペインが地中海に面したヨーロッパの国であることをあらためて実感した。

このあと訪れるカタルーニャ地方や今回は行く予定のない北のバスク地方と同じように、バレンシアにも標準語であるカスティーリャ語スペイン語)のほかに、もうひとつ公用語としてバレンシア語がある。義務教育の必修科目となっているとのことだった。ここに住む人々の誇りを象徴しているのだろう。自らの出自と在ることのアイデンティティについて思いが巡った。

グラナダから州都バレンシア市へのバス移動は乗車時間が7時間半におよぶ 長旅だった。途中、地中海に面したアリカンテバレンシア語ではアラカント、スペルも少し違う)に寄り道して、昼食を摂った。ここまでで、すでに4時間半かかっている。 

アリカンテはスペインを代表するリゾート地だ。国内外からの観光客で賑わい、地中海沿岸のバカンスを楽しむ地としても有数の場所だという。

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スペインで最初に敷設された鉄道はマドリッドとこのリゾート地の間だったと現地のツアー・アシスタントが説明していた。夏は灼熱の地となるスペイン内陸部とは異なり四季を通じて温暖な気候で、町なかには色とりどりのパラソルの花が咲き、港に停泊するヨットや背の高い椰子の木に囲まれた優雅な色タイルの歩道がリゾートを強く印象付けている

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潮風に晒されて色褪せたリゾートマンションのような建物の中にあるレストランで昼食を食べた。建物の外観とは異なり、白い内装とゆったりとした屋内はいかにもリゾート地の雰囲気に溢れていた。弾けるスパークリングワイン(ガバ)のグラスを片手に食べたパエリアが絶品だった。いつか本場でこの料理を食べてみたいと夢見ていた願いが叶って感激だった。

今回のク○ツ○社のスペイン・ツアーではほとんどの食事が事前にプランに組み込まれていた。自由行動の時間帯に飛び込んだレストランやバルでの食事を除いて、宿泊したホテルや街中のレストランでのお仕着せの食事は残念ながら、このアリカンテのパエリア以外は全て期待外れだった。旅行の楽しみのうち、食事はとても大きな要素だ。異国の地で口にする料理は馴染みの味でも初体験のものでも忘れがたい記憶として残る。旅行中、鶏か七面鳥かもしれない鳥もも肉をソテーした一品料理が三回も出たのには正直言って落胆した。この旅行ツアーの食事の記憶は別の意味で忘れがたいものとなった。

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(Costa Blanca)

食事のあと、近くの丘に登った。展望台へは海岸から掘り抜かれた長いトンネル の突き当たりでエレベーターに乗った。サンタ・バルバラ城という名の城址公園だった。この城址レコンキスタ終焉後の十六世紀から十七世紀にかけて築かれたもので、北アフリカからの侵略者を見張るための城郭の跡のようだ。眼下の海岸はCosta Blanca(白い海岸)と名付けれている。世界中に名の知れたCosta del Sol(太陽海岸)と並び称される景勝の地だという。緩やかなカーブを描きながら海辺を走る道路と白い壁にオレンヂ色の瓦屋根を乗せた町並みの向こうには美しい青緑のグラディエーションを描く地中海が見えた。砲台跡から眺めた視界の果てにはアフリカ大陸が横たわるはずだが、霞んで見えなかった。海から舞い上がる風が心地よかった。

バレンシア市街に着いたのは夕方18時過ぎだった。夕方といってもまだまだ日は高く、まるで昼間のような明るさだった。この日は市内の赤レンガ色のホテルに宿泊した(Sercol Acteon、旧アバ アクテオン)。

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(朝日を浴びるホテルの外観)

翌朝も快晴。昼過ぎに高速列車でバルセロナに移動する日程で、午前中は市内の観光に費やした。

バレンシアは花にあふれた美しい街だった。道路沿いの植え込みには青紫のジャカンランダが見ごろを迎え、建物の窓辺には色とりどりの花が飾られていた。

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(広場に飾られた大きな花絵)

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(ラ・ロンハ。まるで要塞のような建物)

ラ・ロンハ(15世紀末に建てられたゴシック様式の交易所跡)をはじめ由緒ありげな古風な建築物に交じって今風の高層建築が立ち並ぶ。この街では中世と現代が同居する。それでいて全体に落ち着いた雰囲気にあふれ、調和のとれた優雅な趣がある。

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街中いたるところに健康的で若さに溢れた若者が集い、老若男女みな生き生きとした笑顔で、街は活気に満ちていた。バレンシアとは「明るい」「晴れ渡った」という意味だという。まさにこの名にふさわしい街の風情だった。ここがスペイン第三の都市であることも頷ける。街角にはあちこちに小さな広場があった。正午前にバレンシア(Estacio Del NORD)駅にたどり着くまで、お上りさんさながらに、現地のアシスタントガイドの後を列になって市内を観光した。東洋人の観光客は少なかった。

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(Nord駅)

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おおきな中央市場(Mercado Central)が観光の目玉となっている。日常の食材を売る店の隣には小さなカウンターのあるバル風の店が連なっていた。軒からまだ切り出す前の大きな生ハムがぶら下がり、カウンターの目の前には小皿に乗ったうまそうなタバス料理が並ぶ。食材店では魚貝が珍しかった。海に近いこの街は海産物も豊富で、きっと夜の繁華街ではシーフードに舌鼓をうつ客も多いのだろう。

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街中をそろぞ歩いているとあたりの華やかさとはうらはらに、地味で質素な身なりで寡黙に踞る男女がいることの気づいた。何をしているのか最初は分からなかった。手書き文字の書かれたダンボール製の看板を持ち紙コップを手にしている。しばらくして彼らが物乞いであることに気がついた。日焼けして、衣服は古風だった。看板を読めないので、詳細は判らない。いまでは蔑称としてジプシーという呼称は使わず、ロマと呼ばれている、各地を転々と渡り歩く流浪の人々かもしれないと思った。独自の伝統と生活様式を守り続ける彼らは現代社会に馴染まず、窃盗やスリなどの犯罪に手を染めることも少なくないと聞いた。一日中、踞って金銭を求めるくらいであれば大道芸を披露するとか、あるいはちょっとしたアルバイトでもした方が確実な収入に繋がると思うが、それが彼らの文化であり、生き方なのかもしれない。あるいは勝手な思い込みかもしれないが、彼らが不幸であるとは思わなかった。多様な生き方があっていい。人は誰も自由に生き方を選べるわけではない。命を授かった時代と場所、与えられた環境、本人の意志では自由にできないことのほうが多い。人はしがらみに生きてゆく。「光と影」は幸、不幸を意味しない。表も裏も同じもののいち面に過ぎないだからだ。

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(乗車したrenfe)

昼食は配られた質素なランチパックを駅の切符売り場の休憩所で食べた。これなら自由時間をもらって街の市場で食べてくればよかったと思った。午後の高速列車(AVEではなかった)に乗り、次の目的地であるバルセロナに向かった。海を眺めながらのゆったりとした列車の旅はバスより快適だった。

終着駅のバルセロナには19時近くに着いた。いよいよ積年の憧れの地、今回のツアー最大の目的地であるサグラダ・ファミリアの建つカタルーニャ地方の州都、バルセロナに立つことができた。

バレンシア

スペイン第三の都市。人口約八十万人の規模としては中堅的な都会であるが、周辺人口を加えると二百万人を超える住民を支えるバレンシア自治州の州都である。早くから海運が発達し、地中海交易で栄えた商業の街であるとともに織物をはじめとする手工業でも栄えてきた歴史がある。現在でもスペインを代表する商工業都市として栄えている。

バレンシアとは「明るい」「晴れ渡った」を意味する。古くはローマ人、ゲルマン人の侵入やイスラム教徒(ムスリム)により支配され、レコンキスタを経て近世ではフランス軍による侵略など複雑な歴史を持つ。地中海に面し温暖で活気に溢れ、花の溢れた美しい世界遺産のある都市である。

恵まれた地中海亜熱帯気候によってオレンヂをはじめとする果実栽培も盛んであるが、その名を冠したバレンシア・オレンヂはアメリカ合衆国カルフォルニアの原産で、この地とは無関係である。この地で生産されるオレンヂは生食やジュースとして消費されるとともにジャムの原料として海外に輸出されている。