九月の虹

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奇妙な動きをして太平洋から日本海に進路を変えた台風11号がもうじき熱帯低気圧になりそうだ。

今朝小雨の中、大きな虹が出た。

天気が不順でこのところ良く虹を見るが、早朝の居間の窓からこれまで虹を見た記憶がない。

日中はまだまだ暑い日差しが降り注ぐが、朝夕は連日涼しくなった。もう秋が来ている。その証拠に目と鼻にアレルギーが始まった。

先週の半ば青春18きっぷを購入し東海道線普通列車を乗り継いで念願の長良川の鵜飼見物に出かけた。

残念ながら雨で川が増水して鵜飼は中止となり、温泉にだけ浸かって意気消沈してまた東海道線で帰ってきた。

長良川の水量は上流の郡上に降った雨で決まるという。台風の影響で大雨になってしまったので下流の川もしっかり濁流の大河に変身していた。

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雨の中を岐阜駅から長良橋通りを真っ直ぐ進み、有名な柳ヶ瀬商店街を横目で見てとおりすぎ、一時間ほど歩いた。予約の宿は橋の近くの「鵜匠の宿 すぎ山」だった。長良川を挟んで、再建された岐阜城の建つ金華山の正面の宿だった。金華山はここを居城にした織田信長がそれまでの稲葉山を改名してつけた名前だそうだ。麓にある伊奈波神社が元の城主である斎藤道三が付けたその名を忍ばせている。玄関前の川辺には鵜飼に使われている細身の木造舟が係留してあった。舟底にはおりからの豪雨で水が溜まっていた。

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着くなり今日の鵜飼は中止と告げられそれ以外の予定を組んでいなかったので途方に暮れた。時間潰しにすぐ隣のうかいミュージアムの実演を覗きに行ってみた。

全国で九人しかいない宮内庁職員資格の鵜匠である杉山雅彦さんが解説と透明な水槽に泳ぐ鮎を鵜が捕る実演を見せてくれた。飲み込んだ魚を籠に吐き出させられる鵜も大変だろうが、操る鵜匠もなかなかの修行が必要なのだろう。代々一家の長男が世襲してこの職に着くという。あっと言う間に鮎を何匹も飲み込む鵜。短い実演だったが意外と面白かった。

毎年、長良川の鵜飼のは五月から十月中旬(5月11日から10月15日)まで行われていて、よほどの事がない限り実施されている観光行事だが、今年もこれまで三回のみしか中止になっていない中、運悪く四回目の中止に当たってしまったようだ。

翌日の朝は晴れだった。長良川の上流方向に二重の虹がかかった。二重の虹は幸運の印だという。でも深夜にも大量の雨が降って長良川の水位は高いままだった。これでは連泊の選択肢はない。帰り際、宿の従業員にはまたぜひ来てくださいと言われた。確かにまた来ないと本当の伝統行事は観れないと妙に納得してしまった。

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このまま電車に乗って帰るのも味気ないし、せっかくなのでロープウェイに乗って金華山の頂上にある岐阜城を外からだけ観光した。登山道も整備されていて近隣住民の格好の朝の散歩コースになっているようだ。頂上の博物館になっている城郭の前の休憩所には高齢者が地元の言葉で朝の挨拶を交わし賑やかだった。確かに登り下りがあって老若男女に関わらず、健康増進にはもってこいの散歩道だ。

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金華山の展望台からは晴れ渡る地平の果てに伊吹山を眺め、遥か彼方まで広がる濃尾平野を見ることができた。眼下の街並みに続き木曽川長良川に潤いを与えられて豊かな平野がどこまでも広がっている。この山の上から斎藤道三織田信長が天下統一の夢を抱いた気持ちがわかるような気がした。なかなか関東に住んでいると岐阜には馴染みがないけれど、中世の日本から近世への扉を力ずくでこじ開けた戦国武将の息吹と意気込みがこの地で育まれたことが納得できるような気がした。

青春18きっぷで旅をするのは運賃を節約したいからではない。むしろ限られた時間を有効に使いたいからだ。車窓を流れる見知らぬ風景は濃密な時間を与えてくれる。目標に一直線に挑む生き方と違う、自由気ままにその時の思いに従って行動することも豊かに生きる手段であると考えられるようになった。

おそらく歳のせいばかりではないと思う。時間と距離こそが人生を豊かにする最大の鍵だと思えるようになった。自らを縛ってきた呪縛から心を解放することが目下の最大の課題なのだ。