対馬紀行完結編

対馬日本海に浮かぶ南北80キロの孤島だ。
九州より朝鮮半島が近い。距離にすれば50キロ足らずしか離れていない。
晴れた日にはプサンが見えるという。
観光地の烏帽子岳の展望台から目を凝らすとぼんやりと見えたような気がした。
日本人はこの国が単一民族で成り立っていると思っている人達がほとんどだろう。
日本人の起源には南方説、朝鮮半島からの大陸人によるとする説、
オホーツクや千島からの渡来人に由来する説など様々あるが、
そのすべてがたぶん事実なのだと思う。有史以前、この国は多彩な民族で構成されていた。
そのなかで、原始社会を征服し現在の日本の源流を築いた大和朝廷
確実に朝鮮半島からの移民に由来することを実感できた。
南方から伝来した水耕による稲作が食糧を安定供給し、のどかな狩猟に依存する縄文社会を駆逐する時代に
鉄の文明をもつ朝鮮半島由来の大陸人がいっきにこの国を席捲して古代社会を確立した。

(赤島の住吉神社
海も山も森も神として崇めた古代人と新たな文明や文化を持った渡来人の遭遇した
はじまりの場所が対馬だ。
対馬は今に続く日本国が最初に生れた場所なのだ。
対馬への旅は日本という国の出自に身を置いてみるための旅だった。
それがここを訪ねたいと思った衝動の一番の理由だと帰ってから気がついた。
島内には数多い神社や神聖な聖地が点在する。

複雑に入り組んだリアス式海岸や海から直接せり上がる断崖の頂に神が鎮座する。
芒洋とした日本の文化はここで生れ、
混然となって日本列島の南北に広がった。

今回泊まった禅寺の西山寺では冬場は朝6時半に鐘楼の鐘が鳴る。
すぐ傍で聴くと余韻が体内に伝わってきた。
禅宗では日常のすべての所作を重視する。
掃除も食事も座禅と同じ意味があり、この寺と宗派はことなるが
道元正法眼蔵にある典座(てんぞ)の逸話が思い出される。

(各部屋に床の間と掛け軸があり野の花が生けてある)
歴史あるこの宿はいまではユースホステルになっているが、
隅々まで塵ひとつなく掃除されて気持がよく、食事は質素だが意を凝らして美味だった。

(これで一泊朝食付き5000円は安い、大きな自家製の梅干しがついてくる)
森に覆われた島には農地が少ない。
名物のサツマイモの粉から作るろくべい(六兵衛)は黒い糸こんにゃくのような麺だ。

(珍味、ろくべい。長崎のものとは少し違うらしい)
飢饉に備えた非常食だったらしい。
夕食は二日続きで寿司を食べ、島の地酒、白嶽(しらたけ)を飲んだ。

(寿司屋、橘)
2泊3日の短い滞在で島の山坂を300キロ走り回った。
まだまだ訪ねたい場所は沢山あったが、島の南端に行く時間はなかった。
3日目の午前中は府中である厳原を観光した。

(西山寺は厳原の港を見下ろす丘の中腹にある)
島の領主、宗家十万石の墓所である萬松院には歴代の領主の墓が樹齢千年を越える杉林のなかにあった。

(日本三大墓所のひとつだそうだ)

武家屋敷跡に面する八幡宮には神とともに
戦国時代の末期、キリシタンとして数奇な運命を辿った小西行長の娘、小西マリヤも祀ってある。
神も仏もキリシタンも祀る神社は珍しい。これが日本の文化を象徴しているようだった。
韓国や中国と国境の島の領有をめぐってでキナ臭いこの頃、歴史遺産の孤島への旅は
「国とは何か」を考える、ひときわ心に残るものとなった。