対馬紀行の続き

対馬に着いて初めて、本州と北海道、四国、九州、北方領土沖縄本島を除くと、この島が佐渡奄美大島に次いで3番目の大きさの、意外と大きな島だと知った。

今回、ぜひ訪ねたい場所は三か所ある。
木坂・海神神社(はるか昔はわだつみ神社と呼ばれた)、和多都美神社(これもわだつみと読む)、金田城(かなたのき、かねだじょう)跡だ。
二日目に最初に訪れたのは木坂の海神神社だ。
海神は昔、わだつみと読んだらしい。

海の守護神・トヨタマヒメ豊玉姫)を祀る。

(海神神社)
神社の由来を説明する観光用施設には神功皇后を祀るとも書いてあった。
そもそも、この国の成り立ちはあいまいだ。
漢字の伝来以前は文字がなかったことが大きな理由だろうけれど、
神話の世界を想像するときには、魏志倭人伝が古代の始まりとなって、
その後の記・紀が古代を伝える数少ない資料になっている。
有史以前に日本の殆どの神々が生まれているのに
その大本は想像とロマンの世界にしか存在しない。
あまたの神社が日本中にあるが、その由来が何なのか殆どの日本人は知らないし、
それでも初詣やお宮参り、七五三のようにこの国に深く根差した信仰が
いまでも身近にあって不可解、不思議の世界を築いている。
芒洋としてつかみどころのない不思議の国こそが、日本の国そのものなのだろう。
対馬はきっと、大陸と日本を繋ぐこの国の始まりの島だろうから、
その象徴の神々を祭る神社を訪ねたいと思ったのが対馬への旅のきっかけだった。
この海神神社は対馬の一宮で、八幡信仰の起源らしい。
武運の神様だ。鎌倉の八幡宮の遠い祖先だろう。
つぎに訪ねたのは和多都美神社だ。
この神社も竜宮伝説のもととなった古跡である。

和多都美神社、大潮だったので海中の鳥居のそばまで歩いて行けた)
古来、神は海を渡ってこの国に来たのだろう。
安芸の宮島の原型のような神社だった。
三番目に訪ねたのは、史実が遺跡となり伝説が今に伝わる場所、金田城(かなたのき)だ。
百済救済のために出兵した日本軍が白村江の戦いに大敗し、ときの天智天皇
新羅と唐の襲来に怯えて築いた、日本最古の城跡だ。

七世紀半ばに築かれた石塁の規模に圧倒される。

(金田城・かなたのきの石垣)
万葉集にはるか東国の武蔵や相模の国からここに派遣された防人の悲哀の歌が
数多く残っている、感慨深い史跡だ。
最近の発掘で奇跡のように次々と新たな遺跡が発見されているらしい。
日本にも世界史ををいろどるさまざまな遺跡がまだ沢山埋まっているのだろう。
こここそが世界歴史遺産にふさわしい場所だと思った。
(・・・この稿まだ続く)