灼熱のカンボジア巡礼旅_プレ・アンコール時代の遺跡を歩く

光と水と森のあるところには人類の足跡が残る。

インドシナ半島には紀元前四千二百年頃から人間が暮らしていた痕跡が残っている。時代は下って、紀元前後にはインドの商人がモンスーンを利用して海洋交易を目的に現在のカンボジア地域に到来していた。二世紀頃のカンボジア南部のデルタ地帯にはインド文化に影響を受けた「扶南(ふなん)」が建国されている。さらに五世紀にはクメール人の祖先となる集団がラオス南部からメコン川流域を南下し「真臘(しんろう)」を建国し、七世紀になると扶南を併合して首都を「イシャナプラ」、現在のサンボー・プレイ・クックに定めた。しかし、八世紀初頭には真臘は分裂し、当時東南アジア一帯の覇者ジャワ王朝のあるジャワ島から帰国したクメール王朝創始者、ジャヤヴァルマン二世によって802年に再統一されてアンコール王朝が創設された。

古代国家「真臘(しんろう)」はカンボジアでは「チェンラー」と呼ばれている。最初に訪問した遺跡は、このアンコール遺跡群の成立する前にチェンラーの都であったサンボー・プレイ・クック(「豊かな森」の意味)の寺院遺跡だった。

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(トロペアン・ロベアック)

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(プラサット・チュレイ)

首都プノンペンから約200㎞、アンコール遺跡群のあるシェムリアップの南東約170km、両都市を結ぶ道のりのほぼ中間地点にある遺跡である。2017年にカンボジア三番目の世界文化遺産に登録されたばかりのヒンズー教の寺院遺跡だ。時代は日本の聖徳太子の活躍した飛鳥時代。波乱の大化の改新に相当する頃だ。イシャナヴァルマン一世(615-635年頃?)という真臘の王が築いた王都と寺院の遺構である。唐僧の玄奘三蔵が「大唐西域記」(646年)にこのイシャナプラのことを「伊賞那補羅国」と表音表記しているので、当時は広く世界に知られた栄華の都だったのだろう。「隋書」には絢爛豪華な宮廷模様が描き出され、城郭内には2 万余の家、また国内に30の大城があったと記されているとガイドブックにある。

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(発掘の経緯を伝える看板)

アンコール遺跡群の石造りとは異なり、主要な建造物は赤い焼きレンガで造られている。まるで法隆寺の夢殿のような八角形の祠堂が静かに木漏れ日の森に佇む。世界遺産に登録されたばかりで、まだ密林のなかに発見された遺跡を訪れる観光客は少ない。深い森に埋もれた遺跡の発掘には20世紀初頭からフランス調査隊が力を入れ、現在は日本の早稲田大学のチームのよる調査も進行中で、遺構の発掘と整備には日本政府の援助が加わっているらしい。近くを流れるメコン川の支流であるシン川から遺構内に人工的な運河が造設されていたことが最近判明したそうだ。おそらく高度な都市文明を支える物資の運搬のために掘られたのだろう。ここは精緻な都市計画によって作られた街であったのだろう。

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(プラサット・サンボー)

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(プラサット・タオ)

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(ライオンは女性を表す)

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(ライオンの尻は豊穣のシンボル)

主な伽藍として北(プラサット・サンボー)、中央(プラサット・タオ、タオはライオンの意味)、南(プラサット・ジェイ・ポアン)の3寺院があり、その周囲にもいくつもの祠堂が散在している。アンコール・トムを遥かに凌ぐ東西6km、南北4km以上にわたる広大なイシャナプラでは130を越える遺構、個別数では300の建造物が発見されている。野鳥の声を聞きながら森を歩くとあちこちに大小様々な大きさの建造物に出会う。アンコール遺跡の砂岩やラテライト(紅土、酸化鉄と酸化アルミニウムでできた風化生成物)による構築とは異なり、いずれの寺院遺構も精細に赤煉瓦を積み上げた構造だ。遺構に踏み入ると多くの建物の塔頂部は崩れ落ちて青空が覗いていた。これまでの調査で七世紀初頭に創建されたのち、十世紀になってアンコール王朝時代に改宗に伴い多くの祠堂が改造されたことが明らかになっている。

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ヴィシュヌ神シヴァ神の合祀神、ハリハラ神像(レプリカ))

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(女神ドゥルガー像(レプリカ))

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端正に組み上げられた建造物の壁面にはヒンズー教の神々が彫り込まれている。近づいて見てみると、その意匠にはヨーロッパの古代文化の影響が想起させられる。七世紀初頭、すでに海のシルクロードとも言える、海路の発達によって西方との交易が盛んだったことを示すのだろう、この場所が国際的な文化交流の中にあったことが容易に想像される。

長く灼熱と風雨に晒されたのにもかかわらず深く彫り込まれたレリーフ群は鮮明に往時の姿を留めている。造られた当時は鮮やかな金地や極彩色で飾られていたのだろうか。日本の正倉院のような宝物殿はあったのだろうか。神秘の神々が降臨する壮大な立体曼荼羅のようなこの遺構を眼や髪の色が異なる多くの人々が往来していたはずだ。喧騒と輝きに満ちた創建時の姿を、いまでは想像でしか知るすべがない。

静かに佇む深い森に悠久の時間が沈殿する。無言の時空を抜けて熱帯の熱い風とともに古代人の過去からの聲が届く気がした。