生きている実感

生きている実感をどんな時に感じるかを考えてみる。
きっかけは単純だ。
勤め先は違うが、同じ業界で、同じ歳で、昨年やはり長年の職場を退職した S氏の訃報が届いたからだ。
彼は私たちが関わってきた分野のリーダで、自他共に認めるまさに世界のフロントランナーだった。
退職した昨年の11月に膵臓癌が見つかり、箝口令を敷いて極秘で治療を続けていたようだが、先週の月曜日に亡くなったと知らせが入った。
葬儀は家族で済ませたので、仲間内で偲ぶ会を開こうとの知らせだった。
命は有限なので、死は定めだ。
そんなことを思っていたら、では生きていることを実感をするのはどんな時か、想いが 巡った。
答えは人それぞれ、自分はどうだろうか。

今朝、ベランダに出てみると鉢植えのトマトの茎に小さな実をみつけた。
生きていることを感じるのは、きっと新しい命と出会う時かもしれない。
あるいは季節の巡りの中で、あるものがあるように現れることに感動する時かもしれない。
改めて命の不思議を想う。