上高地は雪、乗鞍高原は快晴

メイストームという言葉を今回初めて聞いた。
連休後半の4連休は青森から秋田を周回するテント泊旅行の腹積もりだったが、
日本列島を春の低気圧が縦断して各地で大荒れの天気予報となってしまった。
この4月末から5月初旬に襲来する嵐のような悪天候メイストームと呼ぶそうだ。
調べてみると、かつて大きな海難事故が起ことから、この時期の悪天候を呼ぶ和製英語ができたようだ。
キャンプは諦め、低気圧の通過を狙って天気の良さそうな場所を探した結果、長野に行くことにした。
3日の朝はそれほどの渋滞もなく中央道に乗ることができた。
出発前日に乗鞍高原の民宿が予約できたので同じ宿に2連泊することにして天気をみて長野県内を観光する予定だ。
運が良ければ澄んだ5月の夜空に銀河が瞬く星空が撮れるかもしれないから
車の荷台にはレンズ3本とカメラと三脚も詰め込んできた。
中央道から長野道に入るとひとつトンネルを抜けるたびに天気が変わる。
青空が見えていたかと思うと小雨がぱらついたりして落ち着かない天気だ。
時間に余裕があったのでまず長野の善光寺を観光した。お昼時の善光寺は晴れで少し暑いくらいだった。
さすが全国有数の観光地は大勢の観光客で賑わっていた。



境内で珍しいお坊さんのカップルに遭遇した。とうぜん仏前結婚式だろうなあ、披露宴は懐石料理かしらねえ、お幸せに!(お坊さんの顔がうれしそ過ぎるぞ)。
参道から少し脇に入った蕎麦屋で食べたもり蕎麦が絶品だった。
目立たない路地角の小さな店構えだが看板を見ると百年の老舗のようだった。
予約しておいた民宿「やまに荘」には午後4時過ぎに到着した。
夕食まで少し時間があったので一の瀬園地に散歩に出かけた。
ここはまるでスイスやオーストリアの高原のようだ(行ってみたいが行ったことはない・・・、もう行けないかもしれないなあ)。
水芭蕉の咲く湿地にはモズが啼いていた。


民宿の泊り客はみな常連のようで、直前に予約が取れたのは乗鞍高原のバスセンターのある中心地から離れた下手のはずれにあるからだろう。
宿は綺麗に掃除され、こじんまりとした浴槽には白濁の湯が満ち外の小さな木製の露天風呂に繋がっていた。
お湯はぬるめで気持ちよいが、酸性が強い(pH3.2)から長湯は禁物だろう。
女主人が心のこもった食事を準備してくれて娘さんだろうか若い女性が、心温まるおもてなししてくれた。
この時期は何と言っても山菜のてんぷらがご馳走だ。イワナの塩焼きや山菜の煮物も美味かった。

日が暮れてしばらくは星が見えたが夜中は曇り、朝方には雨だった。
朝起きて外を見ると山の端が白くなっていた。高いところには雪が降ったようだ。
インターネットを見ると、予報では上高地が晴れ時々雨だったので上高地散策をすることにした。
沢渡(さわんど)でジャンボタクシーに乗り換えて釜トンネルと抜けると予想外のあたりは一面の銀世界だった。
大正池で降りて明神池までトレッキングしたけれど、小雪時々小雨あるいは吹雪の大変な天気になってしまった。
しっかり防寒具の用意をしてきてよかった。それでも手袋をしても手が冷たかった。

大正池


雪に驚いた野鳥がそこかしこの茂みを飛び交う。
カケス、キビタキルリビタキアオジなどの番(つがい)が見れた。
たくさん写真を撮ったけれどすべてピントがいまいちだった(帰宅して見てがっかりだ)。
嘉門次小屋で温かいそばを食べながら宿で作ってもらった握り飯を食べた。
明神池に神社が出来て以前は無料だったけれど池の観光も今では囲いが出来てしまい入場料を払わないと水辺に近づけない。

(山のカケス)

ルリビタキの雄)

ニリンソウ

ハシリドコロ、猛毒)

咲き始めたニリンソウハシリドコロ(毒草)も雪に埋もれて寒そうだった。
昼過ぎには雪は止み、曇り時々小雨になった。
明神で引き返し梓川の対岸を河童橋まで戻り沢渡への帰り道はバスに乗った。
乗鞍高原に戻ると全く別世界、快晴だった。温かい。
道端にはツクシやタラノメなどの山菜が至る所に伸びていた。
宿のすぐ目の前には大きな番所大滝という名の観光スポットがあった。
川沿いに遊歩道があり歩けるようになっている。今度来たときには歩いてみよう。

5月5日、乗鞍高原のこどもの日は朝から快晴だった。
今日は道路が渋滞する前に帰りたいので、前々日少しだけ散歩した一の瀬園地に水芭蕉を観に行った。
乗鞍岳が綺麗だ。水芭蕉も至る所に咲いている。
昔は牧場だった山上の草原は牧畜を廃業し、今では広々とした観光園地になっている。
人工物のなにもない場所に立っていると体の中に開放感が湧き上がってくる。
尾瀬とはまた違った風情で緑が美しい。いっせいに花が咲き誇るこの時季、あまり人が訪れることのないここは穴場かもしれない。





帰りに山形村ファーマーズマーケットによって野菜や山菜を買い、お昼を食べた。
帰路の中央道は小仏トンネルの手前で20キロの渋滞だったがそれほど時間もかからずに通り抜け日暮れ前に帰宅できた。