コルドバ_スペイン瞑想旅行

コルドバ。この地名はなぜかスペインにふさわしい響きがある。なんとなくラテンの香りが漂い、光り輝く午後の大地を連想させられる。

スペインにきてもっとも驚いたことは、この地が荒れ野の国だということだった。

これまで想像してきたスペインのイメージは灼熱の太陽と色濃く茂る豊穣の森と緑陰の続く景色だった。

目の当たりにした景色はまったく思い描いていた風景と違う。

バスは最初の宿泊地マドリッド郊外からトレドに向かうにつれて丘陵地帯へと入って行った。

車窓からは、地平のかなたまで整然と植えられたオリーブの低木で埋め尽くされ、たおやかに波打つオレンジ色の台地が見えた。

ここがカスティーリャ・ラ・マンチャ地方(いわゆるラ・マンチャ地方)だという。オリーブの他にはブドウの灌木も植えられてはいるが、景色はまるで乾燥した砂漠に近い印象だ。

ラ・マンチャの言葉の由来は、乾燥した土地、あるいは赤い大地の意味であると現地在住のアシスタント・ガイドが説明していた(真贋は定かではないが・・・)。

アーバスはトレドをあとに二日目の宿泊地、コルドバへと向かった。

一心に窓の外の光景を眺め続けた。

強い日差しとともに午後のシエスタ時刻となり、ドン・キホーテの舞台になった沿道や町にはまったく住民の姿が見えない。

途中で停まった「エスタシオン・デ・ルクエ」という小さな村の土産物屋とカフェを兼ねた道の駅のような休憩所は廃線となった鉄道の駅舎を再利用している。店内にバスから降りた観光客しかいなかった。

休憩所のレジカウンターに立つ太めの背の低い男性は片言の日本語で賑やかににお土産を勧めていた。

「 コレはコレ、アレはアレ、・・・」「オマケ、オマケ」と、連呼して商売熱心だ。中国人には中国語で、韓国人には韓国語で話かけるという。

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 トレドからコルドバへは4時間あまりの長旅だった。

途中、かなたのコンスエグラ村の丘の上には白い7棟の風車群が見えた。これらの風車は観光用に最近になって整備された施設のようだ。音を立てて風を切る風車はすでに過去の物語の中でしか存在しない。

小説「ドン・キホーテ」の作者(ミゲル・デ・セルバンテス)ゆかりのプエルコラプセ村の休憩所では、すぐそばの古風な赤いレンガ造りの教会が逆光のなかでシルエットとなって静かに佇んでいた。

大きな釣鐘は砂ボコリをかぶって鈍色に光っている。

 

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 バスはひたすら乾燥したオリーブ畑の中を走り、アンダルシア地方へと進んだ。

ところどころに牡牛を象った鋼鉄製の大きな黒い看板が見えた。アンダルシアの象徴だと添乗員が説明する。

コルドバはかつて世界最大の人口を持つ都市だったという。

いまから千年前、十世紀にイスラムがこの地を治めていた時代の話だ。

長いスペインの歴史の中で培われた文化は紀元年前後にまたがるローマ帝国の支配、その後のゲルマン民族の移入、キリスト教イスラムとの衝突、数世紀におよぶイスラム社会の繁栄、キリスト教徒の反撃、等々の産物だ。これらが複雑な光と影を作って、おそらく世界に類を見ない現在の不思議なスペインが形成されたのだろう。

コルドバ世界遺産はその象徴としてかつてのこの地の繁栄と栄光を語っていた。

スペインに来て何度も耳にしたレコンキスタという言葉がある。この国の歴史と現在の姿を語るにあたってもっとも重大で壮大な叙事詩だ。

この史実を旅行前にあるいは聞いていたのかもしれないが記憶にない。

キリスト教徒たちがイスラムの支配から自らの生活の場所と宗教を取り戻した歴史的な事業をレコンキスタ(国土回復)という。

神道と仏教と民間信仰が入り混じった混沌とした多神教が生み出した日本の風俗とはまったく違う。宗教を根幹とする命を懸けた異次元の歴史。おそらく支配者だけではなく、この地に住むヨーロッパ系住民の命と名誉と富と生活をかけた、とてつもなく長い闘いの歴史だ。

ようやくコルドバに着いたのは夕方6時を回っていた。

この日は新市街の瀟洒な住宅地にあるリゾートホテル(AYRE HOTEL CÓRDOBA)に泊まった。

敷地内の芝生の覆われた広い緑の庭園はこの日、子供達のための祭り(日本の七五三のようなものらしい)が行われた。行事を終えた後の着飾った子供が走り回り、祖父母や家族ががパラソルの下でなごやかに寛いでいた。

5月12日(日)。早朝にホテルの周りを散歩した。閑静な大邸宅ばかりで散歩をしても塀越しに庭木と屋根瓦が見えるだけだった。鳥を見なかった。何故だろう。スペインの鳥は朝寝坊なのかもしれない。

午前中はコルドバ旧市街の歴史遺産を観光した。まだ早い時間帯なのにあたりはすでに眩しく光る。

重厚な石造りの長い橋を歩いて渡り、メスキータを目指した。メスキータはスペイン語イスラム寺院を指す。

幅広いグアダルキビル川に架かる大きな 石橋はローマ橋と名付けられている。橋の基礎部分は今から二千年以上前にローマ帝国がこの地を支配した時代に築かれ、その後イスラムによって今に残る16のアーチを繋ぐ形の橋として完成した。西洋の石の文化には二千年の年月をもろともしない強靭さがある。

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橋の中央には守護神の像「聖ラファエロ勝利記念像」があった。この石像の足元には中世の騎士達が用いた剣を模したモニュメントが飾ってあった。

レコンキスタが武力による国土の回復であったことを記憶するためだろうか。あるいは再びのイスラムの侵略を許さないキリスト教徒の決意を表しているのか、白く輝く守護神は今もこの地を静かに見つめていた。

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メスキータ(礼拝堂)はかつてイスラム教徒の祈りのためのモスクだった。さらに遡ると、この地にはキリスト教の教会があったようだ。レコンキスタを経てキリスト教の礼拝堂として再度、受け継がれ、内部はキリスト教学に則って一部が改装されて、世界に類を見ない不思議な建造物となった。

イスラム社会では1日5回の祈りの時間がある。コルドバは最盛期の頃、人口百万人以上を擁し、世界最大の文化と文明、学問や先進技術の中心地となって繁栄していたという。激増した住民に祈りの場を提供するために建造されたモスクは拡張を繰り返し、結局、三度の増改修を経て巨大な現在の姿になった。

日陰を作るオレンジの木が植えられた中庭(パティオ)の中央には信徒が身を清めるための噴水が設えてある。これを囲む高い城壁のような回廊に連なる建物の構内は、白と濃い朱色に彩られたアーチを支える支柱群と複雑な造形を生み出す幾何学模様が壁面や天井を埋め尽くす。偶像崇拝を厳しく排除したイスラム信仰の純粋な神秘性を物語っている。

薄暗い構内を奥へと進むと明るい一画に至る。そこは重厚な十字架や聖徒の像が並ぶキリスト教の礼拝堂になっていた。中世の多様な時代の多彩な装飾様式がこの施設に凝縮している。

祈りの場を取り囲む聖歌隊の舞台や重厚なパイプオルガンの姿が過去から現在へと続くキリスト教信仰の敬虔な思いを伝える。

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同時に素朴な疑問を感じた。

レコンキスタが血を血で洗う報復と奪還の歴史であったとすれば、キリスト教徒にとって異文化の象徴である祈りの遺構をそのまま改修して自らの信仰の場として受け継ぐことがあるのだろうか。強固な信仰ほど妥協を許さない。

この素朴な疑問は、レコンキスタを血塗られた闘争とする解釈が一方的な思い込みであると考えれば、容易に解決することかもしれない。

中世を生きた彼らは異教徒たちに対して敬意と尊敬を持ち、互いの高い精神性を認め合っていたのではないか。こう解釈すれば容易に歴史遺産の存続が腑に落ちる。残されたた歴史は重層で単純ではないはずだからだ。

現在の世界各地で破壊的なテロリズムを繰り返す残虐で非情なイスラム過激派ISとは異なり、異文化や思想に寛容で理知的なイスラム教徒は宗教を始め哲学的な思慮に富む施政者であったに違いない。キリスト教徒もそのことに敬意を払いメスキータのような建造物を大事にしたことでこの数奇な遺構が現在に残っているのではないか。

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イスラム支配の時代、中世スペインでコルドバ は、世界で最も先進的な科学技術と知性を誇る国際都市だった。旧市街の細い路地や「花の小道」と呼ばれる美しいユダヤ人町の遺構が世界都市であった往時の姿を今に伝えている。

高度な技術や知識を持った一部のイスラム人はレコンキスタによってイスラム支配者が去ったあともスペインに居残り、新たな支配者となったキリスト教徒のもとでそれまでのイスラム様式とは異なる新しい文化を共に作り出したのだろう。

レコンキスタキリスト教徒には勝利であり、イスラムにとっては悲しい敗北と敗走の歴史だった。キリスト教支配下にこの地に残ったイスラム教徒のことをムデハルといい、イスラムの支配時代にキリスト教に留まっていた人々をモサラベと呼ぶ。

国土を回復したキリスト教徒は勝者と敗者という壁を乗り越えてムデハルとモサラベが生み出したイスラム風の個性豊かな文化を取り入れたに違いない。イスラム文化とヨーロッパキリスト教の文化との混淆が、独特のスペイン文化の源流となったのだろう。

コルドバのメスキータはムデハル様式と呼ばれている。

同日午後、私たちの乗ったツアーバスは次の訪問地、グラナダへと向かった。

コルドバ

マドリッドから南に約430キロメートル余りの地に位置する。高速鉄道(AVE)で1時間40分で辿り着く。現在は人口32万人の観光都市だ。かつて、千年の昔、この地はイスラム文化が絢爛と花咲いた世界最大の文化都市だった。ユーラシア大陸をはじめアラブ、アフリカからも知識人が集まり、この地の繁栄がのちの西ヨーロッパの芸術と科学の発達を生み出すルネサンスへと繋がった。キリスト教徒によるレコンキスタ(国土回復)を契機に、イスラム文化と西洋キリスト教文化が融合した世界に類を見ない独特な文化が生まれた世界遺産の町。