灼熱のカンボジア巡礼旅_微笑むアンコール・トム

 雨季の八月さなか、風のないカンボジアの陽射しは鋭い。サングラスなしではあたりが白く濁り、よく見えない。それでも深い森の生み出す木陰に入ればたちまちに清涼感に包まれる。

旅の四日目(8月19日(月))に広大なアンコール・トムを訪れた。アンコール・ワットの造営から半世紀後に造られた城塞都市アンコール・トムは、「大きな町」と呼ばれる遺跡である。

九世紀初頭(802年)、初代クメール王によって築かれた最初の城都はアンコール遺跡群の北約15kmにあるロリュオス川流域に残るロリュオス遺跡であった。そこからアンコールの地に遷都され最初の建設された王宮は、アンコールの丘にあるプノン・バケンであった。その後、時を経て、丘を挟んで南にアンコール・ワット、北にアンコール・トムが造営された。両者はわずか1kmしか離れていない。

アンコール・トムは東西南北の方角に四隅を合わせた一辺3kmの正方形に作られている。幅100mの環濠と高さが8mもある城壁で囲まれた広大な城塞都市の遺跡である。城都には大乗仏教寺院バイヨンを中心に王の住む王宮や貴族の住居や寺院などが造られていた。五つの城門があり、南大門が入り口である。高さのある石造の門がこの遺跡を象徴する。四方に観世音菩薩の顔相が彫り込まれた四面仏頭である。

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(南大門への道)

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(南大門の四面仏頭)

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(四面仏頭は東西南北を向く)

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(環濠を渡る橋の欄干には「乳海攪拌」神話に登場する神々と阿修羅がナーガ(蛇神)を引き合う光景が描かれている)

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(目を剥く阿修羅の像)

ここを築いたクメール王朝第二十一代王ジャヤヴァルマン七世(1125~1218年?/在位1181~1218年)はクメールの覇者と呼ばれている。当時クメール王朝は混乱し王都はベトナム南部に起こった国チャンパに侵食されていた。国土を取り戻した王は以前からこの地に築かれていた王宮や寺院などを取り込んで、敵の襲来に備えた強固な防衛に主眼を置いた城都を再建した。それがアンコール・トムである。国内には網の目のように道路網が整備され、これらを結ぶ道の駅の役割を果たす中継地としてたくさんの町が作られた。雨季には洪水、乾季には干ばつに苦しむこの国の厄災を除くために多くの治水事業が行われた。その隆盛は王朝の名を世界に轟かせるほどだった。

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(アンコール・トムは広大である。南大門からバイヨン寺院を眺める)

ヒンズーの神々を信仰するクメールの伝統に、新たに大乗仏教を祀る壮大な寺院バイヨンが築かれたことには理由があった。荒廃した国内の復興には大胆な行政改革が必要であった。長年にわたり王朝の権力を独占してきたヒンズー教の祭祀を行うバラモン僧や旧王勢力を抑え、国家再建のための改革を進める新しい政治体制の形成を大乗仏教に帰依することで図ろうとしたことがその理由であった。

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トンレサップ湖でチャンパと闘う水軍の図)

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(庶民の暮らしを描くレリーフ

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(女神の像)

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(踊るアプサラ(天女))

歴史は偶然とともに、必然によって生まれる産物である。

とはいえ、国の繁栄と民の暮らしの安寧と未来へと続く先祖の永遠を願う王の真摯な思いは多くのものを分け隔てなく救済する大乗仏教の思想に合致していた。王が深く大乗仏教を信奉し伝統的なヒンズー教の神々の威光に加えて新たな救済を仏教の教えに求めたことで、神仏はこの国にいっそうの繁栄をもたらした。昂る軍神として恐ろしいほどの力があった王の異なる心のうちを表現したものがバイヨン寺院であったのだろう。

ここには巨大な観世音菩薩の顔を持つ49基の四面仏頭が配置されている。施設の基本的な構造は混沌の世界を支えるヒンズー教の宇宙観に基づいて造られている。アンコール・ワットと同様に三層の回廊構造をなし壁面や石柱には美しいレリーフが残る。遺跡の内部は複雑でまるで迷路のようだった。狭い通路を抜けて日の当たる場所に出ると、どこからか伝統音楽が流れてくるような気がした。仏神が集う須弥山に見立てた四面仏塔を見上げるあちこちの壁面から、優雅な調べに乗って舞うアプサラや美しい女神に誘われて、この地に暮らした陽気な庶民が列をなして踊り出てくる気配を感じた。

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(クメールの微笑み)

観世音菩薩の面相は王の顔を映したとされる。微笑みをたたえるその像は、「クメールの微笑み」として時代をこえて見るものに心地よい安らぎを与えている。

クメール王国中興の祖と呼ばれるジャヤヴァルマン七世の死後、クメール王朝は次第に衰退への道をたどった。バイヨンをはじめアンコール・トムに築かれた寺院群は、のちにヒンズー教徒であった二十三代王ジャヤヴァルマン八世(在位1243~1295年)によって改装され、この遺跡もまた波乱の運命に洗われて現在に至る。

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(壮大な遺跡群)

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(象のテラス)

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(王宮跡を見守るバプーオン寺院。シヴァの神を祀るピラミッド型寺院)

アンコール・トムの森にはバイヨン寺院のほかにも王の宮殿や象のテラス、癩王のテラスをはじめとして当時の王朝の繁栄とこの地に生きた人々の足跡を偲ばせる数々の遺跡が残されている。わずかな時間ではそのすべてを巡ることができないことは承知していたが、まみえることのできなかった多くの史跡に心が残った。

限りある命のなかの一期一会。遥かな時空の流れのなかで、永遠を祈る。限りない人間の情念の深み。その淵に立つ機会に遭遇できたことを、時を司る神に感謝したいと思った。