嵐の前

二十四節気ではもう白露。秋の気配が深まり、草の露も白く光る季節。仲秋の名月まであと一週間に近づいた。

今夜から明日にかけて、記録的な超大型台風15号が関東を直撃する公算が大で、関東一円のJRや私鉄が今夜あと少しで計画運休になるようだ。

今(午後8時半過ぎ)まだ、我が家のあたりでは雨は小降り、風はなく静かな日曜日の夜のままだ。それでも過去最大級の台風の襲来ということで、強風に備えて昼間のうちにベランダの小物や鉢植えは整理しておいた。

台風襲来の影響なのだろう、この週末はまたまた暑さがぶり返した。朝早くから蒸し暑く秋の到来を感じるにはほど遠い残暑だ。

今週末は予定のない、静かな日々になるはずだったので、昨日は朝いちばんでJ&Bに映画を観に行った。

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「風をつかまえた少年」。

舞台はアフリカ中南部マラウイ共和国タンザニアに隣接する小国だ。開発と環境破壊に揺れる村、古い伝統と気まぐれな気候のもたらした干ばつに苦しむアフリカ農民の話だ。貧しい農家の少年は憧れていた学校に入学するが、学費を払えず退学となってしまう。それでも密かに教室や図書室の隅で勉学を続け風力発電によって畑を潤す灌漑装置を作り村を危機から救う。

実話に基づく映画だった。干上がった台地を黙々と耕す少年の父親の姿が痛々しい。荒涼としたアフリカの大地は先日観たグリーンランドの氷原と対極をなす。乾燥した赤茶けた平原に陽炎が舞う。
途中、涙が出るほど、悲しく厳しい話の展開に息苦しくなってしまった。最後がハッピー・エンドで救われた。

この日、たまたま朝のNHKで放送されていたのがカンボジアの現状だった。状況は違うかもしれないが先日訪れたばかりのカンボジア農村の姿がだぶってみえた。

映画の後、お誘いがあって、長男家、次男家と中華街でおち会い、再開した「徳記」に食事に行ってみた。きれいに改装された店内も、料理の味も、まったく違う店になっていた。なつかしの恐ろしいオババの姿はなく、舌鼓をうつ絶品の豚足麺も憧れの春巻きもすでに過去のものになってしまった。オババはいつも怒っていた。それでもこの店は人気があった。頻繁に来ていたわけではないが、平打ちの細い麺に薄味の昔ながらのスープの味が懐かしい。店の前の赤い看板と店名だけが昔のままだった。時代が変わる。

食事のあと長男家の孫二人がそのまま我が家に泊まりに来て、賑やかな週末になった。背負ったリュックにはパジャマと着替えが入っていたようだ。

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リビングの机は夜遅くまで絵画教室となった。へいちゃんの山繭蛾を克明に絵にする姿に感心した。こどもは天才だ(こどものうちだけかもしれないけれど)。朝観た映画が頭をよぎる。

 * *

そして今日は日曜日。朝一番でヨドバシカメラに工作セットを探しに行き、遅まきながらと少し早い孫たちの、今年の誕生日祝いのプレゼントにロボット・キットを買ってきた。

昼食を挟んで我が家の和室は工作教室になった。ヘイちゃんは癇癪を起しながらキットの組み立てに取り組み、さずが姉だけたあってマドちゃんは淡々と作業を続ける。

一心不乱に模型製作に取り組む孫たちの横顔をみていると、この穏やかな時間を至福の時と呼ぶのかもしれないと思った。人生の後半では今までと違う感性が働くようだ。

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製作はまだ途中だったが、台風の襲来まえに午後3時には彼らは自宅に帰っていった。

老夫婦ふたりの静かな週末のはずが、ずいぶんとメリハリのある、てんこ盛りの週末になった。

大過なく台風が通り過ぎてくれることを祈る。

追記(台風一過の9月10日)

夜中の二時から四時頃まで凄まじい風が吹いた。窓ガラスが軋むほどだった。川の増水は雨で窓ガラスが濡れてよく見えなかった。うとうとしながら朝を迎えた。恐る恐るベランダを覗くと、重い鉢に植えていたので大丈夫だと思っていたシャコバサボテンの鉢が倒れて壊れてしまった。

雨の上がった今朝、今週のいちばん最初の仕事としてサボテンを大きな鉢に植え替えた。このシャコバサボテン、多分我が家に来て少なくとも二十年以上になる筈だ。この台風のおかげで、かえって大きな鉢に植え替えられて喜んでいるかもしれない。まさに怪我の巧妙だ。