冬の花

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葛原岡神社近くの桜

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境内の椿

一月最後の日曜日は大船駅までバスで行きスマートフォンを見ながら街中を抜けて鎌倉中央公園から梶原を経て源氏山まで散歩した。公園から源氏山までは初めて歩く道だ。意外と近い道のりだった。

公園では谷戸で籾焼きの紫煙を上げて炭作りを楽しむ高齢者のグループがいたけれど、寒い日だったからだろう、いつもなら家族連れで賑やかなはずの霜柱の溶けた土の広場は閑散としていた。周囲は枯れたススキの枯野状態で、虫などの生き物を育てるために草刈りをしていないと張り紙があった。啓蟄まではまだ一ヶ月以上ある。池の近くの枯れ木にはジョウビタキがいたけれど、写真は撮れなかった。鳥以外の生き物はまだまったくいなかった。

源氏山近くの道でヒヨドリがうるさく鳴くので見上げると早咲きの桜が咲いていた。寒桜なのだろう。

葛原岡神社前の広場には大きな椿の花が咲いていた。晴れていれば富士山が見えるはずだが、薄曇りで展望はなかった。いつもなら神社の社務所脇に氏子かあるいはこの辺りの住民だとおもわれるおばさん方が玉蒟蒻の出店を出している。美味そうな醤油の匂いが漂っていてこの地を訪ねた時の密やかな楽しみになっているのだが、今日は空のテントだけが立っていた。コロナウイルス対策で自粛だろうか。

椿は冬から春にかけて長い間、鮮やかな紅色の花を咲かせ、古くから日本に自生する。万葉の時代から皇族や殿様など身分の高い武士にも好まれていたという。花が散るときに花弁が一枚ずつ散るのではなく、その付け根からボタリと落ちることから首が落ちるとして江戸時代の武士には縁起が悪いと嫌われていたという話があるが、どうやら明治以降に作られた俗説のようだ。江戸時代にも身分の高い大名屋敷から下級武士まで好んで庭に植えられていたという。むしろ散る姿から潔いとして愛でられていたというのが真相らしい。メジロが濃い緑の葉の間で忙しげに啼いて花を啄ばんでいた。

山を下り、銭洗い弁天を過ぎ、佐助稲荷の前を通って鎌倉駅まで観光客の少ないのんびりの散策だった。