春風亭一之輔を観に行く

今日は建国記念日、首都圏の大雪予報は大外れ。朝には霙も上がって陽が差し、わが居住地あたりは風の冷たいカンカラカンに干上がった冬日となった。

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老人は大雪で転んで怪我をしても眉を顰(ひそ)められるだけなので、数日の家籠りにも耐えられるように、新たな「男の料理」(今後、これはコキ料理と呼ぶことにする、出来栄えがこき下ろされることが多いからです)で時間を潰そうと、昨日のうちに食材を仕入れおいた。昨日の夜は童謡を歌いながら、取り敢えず今日の夕食の下ごしらえだけしておいた。雪やこんこ。

我が家の同居人(妻です)は長年のラジオファンである。ディープリスナーというのだろう。毎日の日課で、朝ドラを観た後の午前中は掃除と数独をしながら、午後は読書と昼寝をしながら、日がないち日、ラジオを聴いている。

予想外のいい天気になったので、自分は散歩でも行こうかと思っていると、突然同居人が落語を聴きに行こう、と言い出した。「いまラジオで春風亭一之輔さんが、今日の午後に横浜・関内ホールで落語会に出演する、まだ若干の空席があると言っている」、と言い出して、びっくり。ビールと落語は生が一番。ということで、午後は横浜・関内ホールの関内寄席「一之輔、わさび、小痴楽、三人会」に行ってきた。

一之輔は当代きっての古典落語の旗手。新作・古典落語を問わず小三治亡き後の東の横綱と称される。まだ44歳とこの世界では若手に属するが、すでに大家の風情が漂う本格派の落語家だ。昨年はコロナ禍で寄席や興行が中止になって、YouTubeで落語を配信していた。自分も何本か視聴していたが、生で演目を経験したことがなかったので、これ幸いと実物を観に行った。

一席目は二つ目の春風亭与いち「牛ぼめ」。卒なくよい出来だった。特に与太郎の描写に嫌味や誇張がなく良かった。

二席目は柳家わさびによる新作「MCタッパ」、廃屋同然のあばら家に住む老夫婦が「パーリーピーポー」になって家を改修しようとする話。わさび自身による新作のようだ。髪型が以前に「笑点」の若手大喜利に出ていた時と違っていてはじめは同一人物かわからなかった。初めて聴く新作は描かれた世界に入り込むまでに時間がかかり、後半にようやく話の流れが理解できた。「パーリーピーポー」(パティーを賑やかに楽しむ人の意味)も初めて聞く言葉で、まくらにちょっとこの話に入る心構えを工夫して欲しかった。

中入りを経て、三席目は三代目柳亭小痴楽による「後生鰻」。蒲焼きにされる鰻をご隠居が助ける話。まくらで、まだ寝て起きたばかりで調子がでないと振っていたが(初めに入門した桂文治門下を寝坊癖で破門されたということをネタにしているのだろう)、ノリがいまいちで、御隠居と鰻屋の主人やおかみさんの姿が薄く、まだまだの印象。

トリは一之輔の「藪入り」だった。三年ぶりに奉公から息子が帰ってくる話。まくらに年中行事の成人式と最近の若者の派手な羽織袴やいで立ちに触れ、大人になることとは、と投げかけて話の本題に入って行く筋立てが見事。違和感なく落語の世界へと誘う。

「藪入り」は落語好きなら誰でもが知っている超有名な古典落語だ。子の息災と成長を思う親の心が、下町に暮らす貧しい庶民の姿を借りて描かれる。久しぶりに笑いながらも涙が出た。抑揚を利かせて、面白おかしく話をすすめ、そのなかでもジーンと心に響く人情に涙がでた。一之輔はすでに名人の域に達している。

落語家は市井の代弁者、華とともに、世間を斜に見据えた少しの毒と諦観がなければならない。小三治には軽妙な毒、談志には陰影のある毒、一之輔にはまた違う底知れない、どこか突き抜けた不気味な毒、あるいは清貧の毒とも言えるかもしれないものがある。これからどのような大家に至るのか楽しみだ。長生きして欲しい。志ん朝のように早死にしないで欲しいと心から願う。

いい時間を過ごすことが出来た。ちなみに、落語は聴くものではなく、観るものだ、と誰かが言っていた。同居人のラジオ好きに感謝しよう。

すでに下ごしらえがしてあったので、夕食の献立はポルトガル料理に初めて挑戦した。大皿の一品料理は「豚と浅蜊アレンテージョ」。自画自賛になるけれど、うまく出来た。自己採点は90点。コキ料理の詳細は明日書こう。