花盛り卒業記念奈良旅行

今年小学校を卒業した孫娘と老妻と自分の三人で卒業記念旅行に出かけた。三人きりで旅に出るのはこれが初めてで、おそらく最後になるのかもしれない。希望を聞いて目的地は奈良になった。孫にとっては初めての奈良観光だ。

花冷えの数日がつづいたあと気温が上がり、例年より二週間もはやく桜の満開が訪れて、図らずも桜の花吹雪に迎えられる奈良旅行となった。

質素・倹約が原則の我が家としては大奮発で、駅につづく正統な日航奈良ホテルに宿泊した二泊三日の旅はこれまでに経験したこともないようなすばらしい好天に恵まれた。この上ない幸せな旅を感じた。まさに門出の卒業旅行にふさわしい明るく輝く弾むような旅になった。

一日目の観光は鹿の群れる奈良公園東大寺大仏や若葉に映える若草山を眺めて春日大社を参詣にした。定番の観光コースをひたすら歩いて廻った。

二日目の朝も青空が広がり、これ以上はないような好天に恵まれたので遠出を決めて、近鉄電車に乗ってちょうど桜の満開を迎えた吉野山に桜を見物に出かけることにした。吉野山までは奈良から片道およそ2時間近い。今年は上中下の千本桜が同時に満開を迎えたようで、金峯山寺へと続く参道は観光客がいっぱいで、のんびりにぎやかな花見道中ができた。

三日目は、どうしても孫が見たいという興福寺の阿修羅像を見学にいった。はるかに千年を越す時代のなかで繰り返す業火を生き延び、想像を絶するほどの遠い過去から現代を見つめる童顔の阿修羅の憂いを秘めた眼差しに心が震えた。孫娘も無口になっていた。少女から大人の女性に移り始めた思春期の彼女にこの像が見つめる先がどのように見えているのだろうか。憂いなのか、苦痛なのか、あるいは怒りなのか、この美少年を思わせる阿修羅の眼差しが未来の平安を叶えるための生みの苦しみであると信じたい。

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気の遠くなるほどの年月を超えて生き残った秘宝や彫像が所狭しと並ぶ現代風の国宝館の向かいには、夫婦で前回この地を訪れたときにはまだ姿のなかった興福寺中金堂が再建されたばかりの朱塗りで鎮座し、屋根の上には巨大な屋根飾り(鴟尾・しび)が光を浴びて遠目にもまぶしいほどに金色に輝いて見えた。

猿沢の池の水面に映る五重塔や真っ白に咲き誇る桜の木々のなかに佇む美しい風景が、まだ少女の域にある孫娘の心にも、静かな日本の原風景への郷愁をきっと育むに違いない。

引き続き家族一同で京都観光が予定されている孫を京都駅で待ち合わせた長男に引き渡し、帰路は新幹線に乗って我が家を目指した。

奈良のシンボル、猿沢の家と興福寺五重塔

新型コロナウイルスの蔓延でほとんどの学校行事が中止になってしまった孫たちには不幸な三年間だったと同情したくなるが、かえってそのために中学受験を目指した塾通いが日常となり、彼女にとっては小学校後半の三年はそれなりの長さや思い出があったにちがいない。年齢を問わず、生きる時間の重さを測り知ることは誰にもできないことだろう。

東大寺

春日大社の釣燈籠

春日大社

コロナ禍がひと段落して観光シーズンの解禁を迎えた春の古都。待ちに待った旅の季節の到来に、奈良市内は外国人で溢れていた。ピンク色に日焼けした半そで姿の旅行者の話す英語にドイツ語にフランス語に、はたまたしばらく耳にしなかった甲高い中国語の会話や韓国語のアクセントに触れて、まるで自分たちのほうが外国に旅行に来ているような不思議な錯覚に陥てしまった。

奈良公園では鹿にワンピースを噛まれてしまった

広々とした奈良公園では冬毛から夏毛に生え替わる鹿たちが餌を求めて寄ってくる。服を噛まれてはじめは半ベソ状態からしだいに慣れて、恐々と鹿たちにせんべいを与える成長した孫娘の後ろ姿を見ると、ついこの間まで、ジジババの棲むマンションに来てソファの上で飛び跳ねながら独演会さながらにはしゃいで歌い踊っていた孫娘の姿が二重写しになって浮かんできた。突然の緊急帝王切開の知らせに驚いた生誕の日がつい昨日のようだ。我が家にとっては初めての女児誕生だ。あの日からすでに12年の月日が過ぎた。まさに一瞬のように時は流れ、わが身は老いをあらためて感じさせられる年齢になっている。

千本口駅からロープウェイに乗る

吉野山一目千本桜

吉野山の桜見物では近鉄吉野駅からすぐのロープウェイ乗り場から登山開始。といっても、ロープウェイ千本口駅から山腹まではロープウェイで上った。下千本も中千本も等しく桜は満開だった。吉野山の上千本桜へ続く登り坂は急坂で、息が切れ、動悸がした。沿道のお土産屋を覗きながら、途中で昼食を摂り、休み所では豆腐パフェや豆腐ソフトクリームを食べて休み休みの登攀だった。でも奥千本への道は険しくて、途中の上千本まではなんとかたどり着いたけれど、これ以上は無理とあきらめて山間の桜の絶景を心に刻んで降りてきた。

名物の柿の葉寿司とさくらめんセット

豆腐パフェ

卒業記念旅行は、ほんとうに夢のような、あっという間の三日間だった。阿児から幼女そして少女へと変身し、やがて美しい大人となって社会へと旅立って行く道すがらに、祖父母とともに出かけた古都の旅があったことを彼女が心に刻んでくれて、いつの日にか懐かしく思い出してくれることを心から願って新幹線の車窓からぼんやりと景色を眺めながら帰路に就いた。