東北の旅

ゴールデンウイーク後半は東北の旅に出かけた。
前日まで熱があったカンちゃんだったが元気になったようなので、一緒に行くことにして
5月2日(火)の夕方出発した。でも、なんだかカンちゃんの元気がない。
どうも熱がぶり返してしまったようだ。
むりせず白石の郊外のビジネスホテル「ひさご」(0224-57-1616、素泊まり3900円)に泊まり様子を見ることにした。
翌3日(水)の朝にはさらに熱が高くなり、同道はあきらめてカンちゃん一家は仙台から新幹線で帰ることになった。
あとは例によって気ままな老夫婦ふたりの行き当たりばったりの旅だ。
午後2時過ぎには弘前に着き、お堀端の新町に住む親戚、佐藤家の叔母さんに挨拶とお土産を渡して一路、岩木山麓の桜林公園に向かった。

桜林には2泊の予定。途中でこの時期の味覚「栗蟹」を買い、夜は海の幸が中心のキャンプ料理だった。
桜林の桜は3分から5分咲き程度だった。
真夜中には満天の星が綺麗だった。




4日(木)も快晴だった。午前中は弘前城の桜を見に行った。
ソメイヨシノはすでにほとんどが葉桜だった。
弘前でも桜の満開に間に合えば、ひと季節で桜の三大名所をすべて愛でることになったはずだが
少しだけ訪れる時期が遅かった。




(お堀端の桜もすっかり葉桜になっていた)

(少し黄味を帯びたウコンザクラの花)
この公園には立派な枝ぶりの枝垂桜が沢山ある。枝垂桜はちょうど見ごろを迎えていた。
ウコンザクラの花は初めて見た。
石垣の大規模修復は順調に進んでいるようで、特設の展望台から大勢が珍し気に眺めていた。
たくさんの観光客に恵まれて、めでたいことである。
午後は一度乗ってみたかった弘南鉄道黒石線に乗って黒石市に向かった。
広大な津軽平野の真っ只中を旧式の電車がガタガタと軋みながら走る。
雪を頂いた大きな岩木山が一面の田畑を見下ろしている。


(古式豊かな運転席、大丈夫かいなと心配になる)


黒石には30分で着いた。有名な雁木(がんぎ)の連なる中町こみせ通りを見物したあと名物のつゆ焼きそばを食べた。
立ち寄った店は「蔵よし」という和風料理屋で、来ていた地元の客に聞くと考案者の元祖の店よりここのほうがおいしいそうだ。
汁がウースターソースとかつをダシの混じった、なんとも微妙な珍味だった。


(これがつゆ焼きそば)
名物になんとかだが、これが大好物でわざわざ車で食べに来ているいう青森市の住民の方々と同席になった。
好みは人それぞれだ。
夕方、桜林に戻り、2日目の夕食も地元の牡蛎とホタテを焼いて食べた。
単純な料理だが、美味かった。ついつい酒を飲みすぎ、買い込んだ地酒を一本空けてしまった。

(桜林公園にはカタクリが沢山自生している)
5日(金)は、今回のもうひとつの目的地、南三陸町に向かった。
激甚災害の被災地は復興事業の真っ最中だった。
3月に店開きした南三陸町さんさん商店街の蒲鉾店「及善」(明治13年創業)を表敬訪問した。
家内の仲良しのT婦人の友人の経営する店で、津波で店も工場も流されてしまった被災者の店だ。
不幸中の幸いにも人的被害はなく、ようやく6年目の今年になって店と工場を再開できたそうだ。
復興支援に少しだけお土産を買った。

(中央奥に小さく見える白い建物が泊まったホテル)

泊まったのは港を挟んで被災した市街地に対面する南三陸温泉ホテル「観洋」だった。
ここはあらかじめ予約しておいた。

(ホテル側から見た復興工事中の旧市街)

このホテルも二階まで津波に浸かったそうだ。
食べ物(アワビの踊り焼きや海の幸の釜めしなど、ひと工夫がある)がおいしく景色も温泉もすばらしい。ここしばらくで泊まった宿の中では随一だった。
翌日は朝日がのどかな海に登り、ここが甚大な津波の被災地であったことが想像しがたいほどの静かな夜明けを迎えた。


ずっと天気が続いたが6日(土)は昼前から小雨がぱらつく天気となり、三陸道から東北道を通って圏央道に乗りカンちゃんにお土産を届けただけで寄り道せずに帰ってきた。
ひさしぶりの全行程1600キロの自動車旅行だった。