アラスカ旅行_デナリ国立公園

アラスカ鉄道のデナリ公園駅で降りてバスに乗り換え小半時ほど行った宿舎(デナリ・パーク・ビレッジ)に着いたのは、もうすっかり日が暮れて暗くなった時刻だった。
アラスカ州には8つの国立公園がある。
デナリ山とアラスカ山脈に囲まれたデナリ国立公園は面積では州で三番目の大きさだ。それでも日本の四国四県を合わせたよりも広大なこの公園はアラスカでも随一の観光スポットになっていて、短い夏の間に二十万人以上の観光客が押し寄せる。偶然にも公園が出来て今年が百周年だ。
星野道夫の著作には、時空を超えたアラスカへの思いが切々と綴られている。
開発と保全の狭間で揺れる日々の中でアラスカの自然を百年前の姿のまま残すために尽くした伝説的な人物についても静かな口調で記述している。
そのなかの二人の女性、ブッシュパイロットのジニーとシリアは、まさにフロンティアのデナリの地に降り立った女神のように書かれている(星野道夫ノーザンライツ」)。
彼女たちの黎明期の公園開拓にかかわるエピソードは珠玉のおとぎ話のようだ。公園と同じ今年はジニーが生まれてちょうど百年に当たる。
この晩夏のアラスカ旅行のきっかけは何と言っても星野道夫の世界を見たいと思ったことに尽きる。何度も読みこんだ、星野が記した伝説に近い事柄が憧れとなって大きく膨らみ、デナリの原野を訪れて彼が彷徨した世界に遭遇できることを夢見てきた。
旅行前に知っていた地名がデナリ国立公園しかないくらい、地理に不案内の自分が、星野が憧れと尊敬で記録に残した先人たちの足跡を身近に感じる、その土地に立っていることに不思議な思いがした。





丸太製の小綺麗なコテージに泊まりあらかじめの予定よりずいぶん早い朝4時のモーニングコールで起こされた。
国立公園には許可された車両と観光バスだけしか入れない。まだ真っ暗な4時半にバスの乗って宿舎を出発した。
朝食はランチパックのような紙製の箱に入ったクッキーやビスケットと水が車内で配られた。
乗り心地の悪い、窓もしっかり開閉できないおんぼろなバスはガタゴトと走る。
夜明け前の冷たい隙間風に身震いがした。
夜が明けて天気は曇りときどき小雨。
眼前には荒涼とした赤と黄色の原野が広がっていた。
公園には一本の道があるだけだった。
バスは砂埃をあげて走る。
道はこのさきのワンダー湖のほとりで行きどまりになっている。そこから先は徒歩か飛行機の世界になる。本当のデナリの姿はその先にあるのかもしれない。
バスの行き止まりまでの間に数か所、キャンプ指定地が設けてあり巨大なキャンピングカーでキャンプを楽しむ家族が少なくないようだ。
黄葉はすでにピークを過ぎた感じだった。散り始めた灌木の上を冷たい風が吹き抜けてゆく。



左右に軋みながら走るバスは行き止まりの湖までは行かず、ほぼ中間地点で折り返した。
小さな筋となって縒り挙げたように集まる薄い川が銀色に光っていた。
眼前に聳えるはずのデナリ山の頂は雲の中でまったく見えなかった。
ところどころで手洗のための小休止で外気を吸う機会があったが、観光はもっぱら砂埃で曇る車窓から景色を眺めるだけだった。
遠目には点のような、金髪の熊や白いドールシープ、風に向かうファルコン(ハヤブサの一種)が眺められたけれど、思い描いてきたデナリの自然とのディープ・インパクトは肩透かしに終わってしまった。
それでも星野道夫がこの大自然に向き合い何を思ったかわかるような気がした。